2009年 04月 09日
島崎藤村『夜明け前』維新と御一新
e0130549_1281484.jpgかつて木曽の広大な山林は多くが尾州藩により伐採が禁じられていたが、米麦の乏しい土地でもあり、領民には各種の補助が与えられていた。だが明治四年に補助が廃止され、さらに山林の殆どが官有林になるとの県庁の方針が示されるに至り、木曽三十三ヶ村は山林の一部民有化を訴える嘆願書を準備した。このとき村民の意見を取りまとめた馬籠の戸長(旧庄屋)青山半蔵は県支庁に突然呼出されて戸長を免職となった。

〈翌日の帰り道には、朝から晴れた。青々とした空の下へ出て行って、漸く彼も心の憤りを沈めることが出来た。いろいろ思い出すことが纏まって彼の胸に帰って来た。「御一新がこんなことでいいのか」と独り言って見た。時には彼は路傍の石の上に笠を敷き、枝も細く緑も柔かな棗(なつめ)の木の陰から木曽川の光って見えるところに腰掛けながら考えた。〉(夜明け前/島崎藤村)

「御一新がこんなことでいいのか」この一言が胸に響く。ここにある「御一新」は明治維新のもう一つの言い方だが、両者に込められたニュアンスはおのずから異なる。それは「明治維新」が中央集権国家の建設と文明開化に象徴される進歩であるとするならば「御一新」は尊王倒幕と世直しに象徴される復古である。

「明治維新」と「御一新」。進歩と復古。これらは明治という時代が、一方は対外的な官製の地表として、一方は潜在的な民情の地下水脈として、その船出の最初より抱え込んだ矛盾であった。現在では西欧思想の発露と考えられがちな自由民権運動も、実質は「尊王倒幕論の一転化」であったと徳富蘇峰は後に記している。

あるいは農本主義者の村落共同体思想、二二六事件の救貧思想、あるいは天理教の中山みきから、大本教の出口なおまで、それら近代化の道程に現れた幾つかの異端思想は実のところ、この地下水脈の地表への噴出ではなかったか。それ程までに二つの理念は明治を超え、近代日本全体を貫く矛盾だったのではないか。初夏の陽光に光る木曽川を見詰める青山半蔵の思念は、やがて次のように赴く。

〈彼半蔵のような愚直のものが忘れようとして忘れられないのは、民意の尊重を約束して出発したあの新政府の意気込であった。彼が多くの街道仲間の不平を排しても、本陣を捨て、問屋を捨て、庄屋を捨てたというのは、新政府の代理人ともいうべき官吏にこの約束を行って貰いたいからであった。〉(夜明け前/島崎藤村)

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by hishikai | 2009-04-09 12:23 | 文学


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