2009年 04月 22日
隅田川
e0130549_14325685.jpg隅田川が最も汚れていたのは1960年代であろうか。近くの安田学園では授業中も匂いが酷いので困ったということを、当時そこに通った学力優秀な方々が、もつ焼き屋のカウンターでハイボールを片手に真っ赤な顔でゲラゲラ笑いながら話されているのを、先日も私は同じ電燈の下で頬杖をしながら聞いた。

今日ではそれも随分と良くなっているが、それでも東京下町の川の風情というものには、例えば滝田ゆうの絵の猥雑や、例えば嘉村礒多の小説の「川口を通う船の青い灯、赤い灯が暗い水の面に美しく乱れていた」というような哀切を強調する目的から、その汚れを借景として利用する意識が働いている。

ところが『名ごりの夢』という昭和十年に八十一才だった今泉みねの幕末回想記を読んでみると、その頃の隅田川に借景とすべき汚れは存在しなかったようだ。それは『伊勢物語』や謡曲『隅田川』に登場する川の美しさを詠う江戸の風情と、都市生活の猥雑と哀切を詠う東京の風情との端的な違いを示して、こう述べている。

私の幼いころのすみだ川は実にきれいでした。「すみた川水の底まで涼しさの とほりて見ゆる夏の夜の月」とどなたやらのお歌にもありましたように、真底きれいで水晶をとかしたとでも申しましょうか。家はちょうど両国橋とみくら橋との間のようなところにございまして、みちを隔てて大河に面しておりましたから、すみだ川の四季折々の眺めはほしいままでございました。

物見のお窓から背のびして垣間見た私の幼時の記憶にのこっていますものの中で、ただ今も忘られず美しかったとまぼろしのように憶い出でますのは、鏡のような静かな水の面にうかんだ屋根舟でした。それが花見のころとか月のよい晩などには、よけいきれいな人をたくさんにのせて、のんびりと川の面を行き交う風情はほんとに浮世絵そのままでございます。

橋のあたりを舟はすべるように行く、チャンチャラチャンと三下りの都々逸かなにか、三味線の音は水にひびくようです。その調子やひびきに、まったく水は馴れています。そうして船頭は大てい浴衣一枚、それもほんとにちょっと手をとおしているばかりなのを風にふかせて、くるくるっと細く撚った手拭いを頭にのっけてるようにした鉢巻、肥どろかつぎのしているような仕方とはまるでちがって、見るからに威勢はよいのです。

そしてふりまわす棹の雫はパラッと玉のように散る⋯⋯とても今は見られない味わいの深い光景だったと思います。当時は別になんの考えもありませんで見ていたのですけれど、後になってもう一度見たり聞いたりしたいというおもいは止まないのでございます。(名ごりの夢/今泉みね)

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by hishikai | 2009-04-22 14:37 | 文化


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