2009年 06月 21日
永遠の平和
e0130549_18502176.jpg十九世紀から二十世紀へと移り変わってゆくとき、ヨーロッパは調和と平和の時代の只中にあった。戦争らしい戦争を目撃することもなく成年に達した彼らは、武力行使のような野蛮な伝統を繰り返すほど文明人は幼くないと信じた。人間は高度な文明へと躍進する──目の当たりにするもの全てがそう語りかけていた。

1897年のイギリスはヴィクトリア女王統治六十年を祝って興奮に酔っていた。祝典の行進は身長2mのエイムス大尉を先頭にして始まり、堂々とした騎兵隊、そして様々な制服を着たカナダ、インド、オーストラリア、ジャマイカ、ホンコン、シンガポールといった世界各地の大英帝国の歩兵隊がこれに続いた。

行列の終尾を飾る八頭の白馬が引く馬車の中には、イギリスとアイルランドから成る連合王国の女王にしてインドの女帝、ヨーロッパの祖母と謳われた78歳のヴィクトリア女王の黒衣をまとった小さな姿があった。10kmの沿道は花で埋め尽くされ、居並んだ数百万の人々はイギリスへの誇りを口々に叫んだ。

フランスもまた陽気で花やかだった。普仏戦争とパリ・コミューンは遠い過去となり、第三共和国の政治と経済は安定していた。海外領土もアフリカと東南アジアに約780万平方kmに及ぶ広大な植民地を獲得していた。フランスはわずか一世代のうちに世界的な勢力を持つ国へと復興した。

e0130549_1851586.jpgドイツの国力も充実していた。統一されたドイツの商工業はイギリスと肩を並べるまでに大きくなり、その成長率はイギリスの二倍であった。「ドイツは世界国家になった」皇帝ヴィルムヘルム二世は、そう誇らしげに断言すると植民地の獲得に乗出した。その自信は強力な常備軍の存在に裏付けられていた。

マネが、ルノワールが、ピカソが描き、ロダンが彫り、ワーグナーが、チャイコフスキーが作曲した。ニジンスキーが踊り、ニーチェが、フロイトが著わした。アルミニウムが初めて造られ、キュリー夫妻がラジウムを発見した。暗いのはドストエフスキーと彼に影響された遥か東方の国、我が日本のインテリゲンチャだけだった。

だが1914年6月14日、オーストリアのフェルディナント大公夫妻の車がサラエボで二発の銃弾を浴びたとき、情勢は一変した。フェルディナントは口から血を流しながら夫人に叫んだ。「ゾフィー!死んではいけない。子供達のために生きるんだ」──そして数分後、彼が座席へ崩れ落ちて死んだとき、ヨーロッパは第一次世界大戦の火中に投げ込まれた。

ブログランキング・にほんブログ村へ

by hishikai | 2009-06-21 19:11 | 第一次世界大戦


<< 安全保障について      北朝鮮の核問題について >>