2009年 07月 30日
フランスとロシアの蜜月
e0130549_14222570.jpg1871年のプロイセン=フランス戦争で、フランスが敗北したことによるアルザス・ロレーヌ地方の新生ドイツ帝国への併合はフランス人に深い怨讐をもたらした。ドイツの宰相ビスマルクはこれを憂慮し、モロッコなど北アフリカにあるフランスの権益を最大限に尊重するよう在外大使に訓令を発して、フランスに友好的な外交を展開する。

だが政治家や資本家はともあれフランス民衆の怨讐は癒されることなく、むしろバルカン半島で同じくドイツの圧迫を感じるスラブ人への同情を誘引し、遂にはフランスとロシア相互の親密な感情を醸成するに至る。このドイツを東西から挟み込む感情は、やがて第一次世界大戦での同盟関係に決定的な影響を与えることとなるが、この時はまだ知られていない。

反ドイツ感情と結果としての親ロシア感情。それらは1880年代後半の世紀末的な頽廃美に耽溺するパリにあっても、なおその底辺で敗戦の屈辱を晴らそうとする愛国的オペラの一幕を演じていた。アルザスの首府ストラスブール奪回を明確に打ち出さない政策は民衆にとって大逆罪であったし、観衆は『ローエングリン』の舞台に盛んな野次を浴びせていた。

その頃パリのアカデミー・ジュリアンに通う孤独で貧しい28才のスラブ人画学生アルフォンス・ミュシャは、ミュンヘンの美術学校から一緒に学んできたロシア人画学生ヴィドホプと共に、将来の不安に満ちた生活と、希望に満ちているであろう仕事について、うまく折合いをつけられるよう話し合いながら、サン・ミッシェル通りの人込みの中を歩いていた。

いろいろな計画について盛んに議論していたが、その時ふとヴィドホプの赤い刺繍のたくさんついたシャツに私の目がとまった。「おい、ヴィドホプ、素敵なシャツを着てるじゃないか!一晩中でも褒めたいよ」。するとヴィドホプはその場に立ち止まり、本を私の手に押し付け、何が何だかわからないうちに上着とベストをもぎ取り、シャツを頭の上に引っ張っていた。大勢の人が私たちのまわりに集まり、喧嘩を期待しているようだった。しかし半裸の学生がシャツを手渡して「気に入ったかい?じゃあ、取っておけよ!」と言うと、彼らは拍手と声援を送り始め、騒ぎはとうとう本物のデモになってしまった。「ロシア万歳! ロシア人万歳!」私たちのまわりの騒ぎは橋の方まで広がり、すっかり興奮したヴィドホプは上半身裸で私の横を歩いていた。

(ジリ・ミュシャ著/『アルフォンス・マリア・ミュシャ ── 生涯と芸術』より)

それは成島柳北がパリを訪れ、ともに幕末動乱を戦ったシャノワヌ大尉と再会して明治日本の江戸故旧に冷淡であることを嘆いた十五年後、日本で二葉亭四迷が『あひびき』を連載し、枢密院で大日本帝国憲法草案の審議が始った1888年のことであった。

ブログランキング・にほんブログ村へ

『四つの星』より〈宵の明星〉A・ミュシャ 1902年

by hishikai | 2009-07-30 14:24 | 第一次世界大戦


<< 平泉澄のこと      政府の役割 >>