2009年 08月 04日
平泉澄のこと
e0130549_1625861.jpg丸山眞男は1938年に国史学担任であった平泉澄の授業を聴講し、後年その様子をこう述べている。新田義貞の後醍醐天皇への忠誠を話す時に澎湃(ほうはい)として涙をながすんですね(笑)、北畠親房と呼び捨てはダメ、必ず卿を付けねばいけない。皇室を中心にして忠臣と逆賊しかいない。「そういう『日本思想史』です」(笑)。

ここでの笑いは滑稽なものを眺める時のそれではなく、特高警察にビンタを喰らい、簑田胸喜ら国粋主義者に散々脅かされた記憶の、その〈無法者〉の価値観と、その源泉であるかのような学者を帝大の教授に据えた人々に対する深い軽蔑が笑いとなって現れたもので、場面としてはグロテスクでさえある。

こうした嘲笑には他者を否定する愉悦があり、聞く者も少しばかり利巧になった気がするために受入れられやすい。そして、その愉悦を噛み締めながら読むのが丸山眞男の魅力であろうが、しかしながら、それは人間の自然な感情を揺さぶる力を持たない。そのような力はむしろ嘲笑された平泉澄の、例えば以下に引用する文章に多く含まれている。

 昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。
 一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。
 「皆さん! 皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」
 と説き起こして、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終わって壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。
 帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上がって来ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通貰いました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。

(平泉澄 著/『物語日本史』〈序〉より)


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by hishikai | 2009-08-04 16:33 | 大東亜戦争


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