2009年 08月 12日
『海底のやうな光』
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 朝や黄昏など、特に風景の美しかつた太田川の下流、私どもの住んでゐた町の土手から降りて行く河原に火事をさけてすごした六日、そして七日と八日、その間に見た現実は、この世のほかの絵巻であった。私はそれを凄惨だつたとは思ひたくない。危険と忍耐と、純粋な民族感への満ち足りた感情との三日間乞食のやうに河原に起き伏した短い日、私たちはどんな貴族よりも高い精神のなかに呼吸してゐた。死骸と並んで寝ることも恐れぬ忍耐の限度を見た。おびただしい人の群のたれも泣かない。誰も自己の感情を語らない。日本人は敏捷ではないが、極度につつましく真面目だといふことを、死んで行く人の多い河原の三日間でまざまざと見た。
(中略)
 七日になつて河原に来た救護班の手当てをうけた。この日になつて昨日の異様な空襲が、新兵器のはじめての使用であつたことをきいた。七日の夜から八日の朝、また昼にかけて人々はばたばたと倒れた。七日の夜は朝まできれいな東京の言葉で「お父さまアお母さまアーいいのよウーいいのよウ。おかへりあそばせエー」と絶叫しつづける若い娘の声が聞えた。「気がちがつたのね」私たちは涙を流しとほした。
 新兵器の残忍性を否定することは出来ない。だが私は精神は兵器によつて焼き払ふ術もないと思つた。あの爆弾は戦争を早く止めたい故に、使つた側の恥辱である。ドイツが敗北した。ドイツを軽蔑できなかつたと同じに、あの新型爆弾といふものを尊敬することはできない。広島市の被害は結果的に深く大きいけれど、もしその情景が醜悪だつたならば、それは相手方の醜悪さである。広島市は醜悪ではなかつた。むしろ犠牲者の美しさで、戦争の終局を飾つたものと思ひたい。

(大田洋子 著/『海底のやうな光──原子爆弾の空襲に遭つて』「朝日新聞」昭和二十年八月三十日)桶谷秀昭 著『昭和精神史』より引用

写真:長崎に投下された原子爆弾〈Fat Man〉によるキノコ雲

by hishikai | 2009-08-12 07:50 | 大東亜戦争


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