2009年 08月 14日
雑考三題
e0130549_10404679.jpgモツ焼屋でハイボールを飲む。お盆だというのに客が多い。古い店には不似合いな白い蛍光灯に蛾が一匹とまって、その下で扇風機がブーンと唸って首を振る。カウンターに若いサラリーマンの一団。その中の一人がワイシャツの袖をまくりながら「僕は小泉純一郎も竹中平蔵も嫌いです。彼らはついに責任をとらなかった」と云う。悲憤慷慨の様子。

深夜帰宅して野坂昭如の『「終戦日記」を読む』を読む。《近衛、鈴木、米内、阿南、十日から十四日までの、胸のうちは計り難い。御聖断という形に委せ、各自が、責任をとらなかったことは確かであろう》の一文が目を引く。近衛さんと阿南さんは自殺している。仮に彼らが生きて奮闘しても、それで責任をとったと人は云うだろうか。責任とは一体何か。

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『火垂るの墓』は一度観て、もう観ないことに決めた。理由は自分でもよくわからないが、どうもいけない。もう亡くなったが私の義父があの世代で、彼もあれを観なかった。理由を尋ねたこともなければ、話すこともなかったが、ただテレビで偶々あれがかかると、彼は黙ってチャンネルを回してしまう。以下は野坂昭如が自身の妹の死について書いた一文。

春江で、新聞、ラジオ、大人と無縁の生活をしていたぼくは、そのような世間の動きすら、知らない。変化といえば、ぼくの妹が餓死したこと。妹の無惨非業の死を悲しみはしない。重荷から解放された気分が強い。妹の遺体を、猛々しく葉先をのばす、一面水田の中の、五坪ほどの石のカマドで荼毘に付した。(野坂昭如/『「終戦日記」を読む』)

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昭和二十年八月十五日に天皇陛下の御放送があり、その後、日本人は変わったという。二十八日に占領軍が進駐し、その半月後に言論統制が始まり、十二月に「太平洋戦争」という呼称が使われる。ジャーナリズムはそれら占領政策と歩みを一つにして、軍閥の腐敗、大本営発表の虚偽、精神主義の愚劣を書き立て、やがて日本人は一億総民主主義者となる。

それら民主主義者はどこから来て、それまでどこにいたのか。あるいは天から降り、あるいは地から湧いたのか。占領政策の影響もさることながら、日本人には省みるべき軽佻があり、浮薄があるのではないか。今もそれは同じで、最近の世論調査やインターネットに表れる強烈な民主党支持者たちは、一体どこから来て、それまでどこにいたというのであろうか。

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by hishikai | 2009-08-14 22:00 | 大東亜戦争


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