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2009年 09月 22日
個人、制度、社会
個人、制度、社会_e0130549_125184.jpg本来の意味で制度とは、ある世代の国民が投票で選んだり、それによって選ばれた代表者が議会で決めた仕組みを指すのではなく、長い時間をかけて各世代の人々が生活の中で無限の調整を加えながら受継ぎ、反復してきたパターンを指す。

例えば出会った人に頭を下げる身体の動きが「挨拶」として了解される、というような一見何気ないパターンによって私たちは相手の行動を予測し評定する。このような制度としてのパターンの無数の連続が人間の集団に骨組みを与えることで社会は形作られてきた。

したがって社会は途方もなく複雑である。私たちの知性はその細部と、それら細部が互いに結節している本当の様子を把握することができない。限られた知性は時間と多数の人手による仕事を的確に理解することはできず、またそれに十分備えることもできない。

あるいは私たち個人にしても過去の人々が実際の生活から編んできた制度に接し、その制度で形作られてきた社会の中に暮らすことによって、生まれたときの生物としての人間から、家庭を経て社会的な人間へと成長し、これがさらに風土に影響されるために多様である。

これらの考えは、二つのことを私たちに教えている。一つは私たち個々人はもちろんのこと、どのように聡明な思想家であれ政治家であれ、長く受継がれてきた制度を批判し、改革を提案するにあたっては極めて慎重に考慮しなければならないということ。

もう一つは制度により形作られた社会に暮らすことで、生物としての人間から社会的な人間へと成長してきた私たちに与えられるべき権利は、人権というような非社会的な権利ではなく、特定の社会的歴史的枠組みの中で発展してきた国民の権利なのだということである。

この二つことは、私たちが政府による制度設計を評価する上でも欠かすことができない。例えば国民皆年金制度や子供手当などにみられる政府による人為的な富の再分配はどうであろう。はたして当局者が社会の細部までをも把握し、実効をあげることは可能であろうか。

例えば永住外国人への地方参政権を認めようとする制度改革はどうであろう。確かに彼らは我国に住み納税しているかも知れない。しかし彼らが恩恵を受けている社会は誰が作ったものであろうか。考えられるべきは人権であろうか、それとも国民の権利であろうか。

暑かった季節もようやく終わろうとしている。とはいえ、去り往くものは惜しまれる。


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by hishikai | 2009-09-22 12:19 | 憲法・政治哲学


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