2009年 10月 04日
2009年10月2日、英誌エコノミスト(The Economist)が発表した調査結果によると、世界33か国中、自国に対する誇りが最も高い国はオーストラリア、最も低い国は日本であることが分かった。(Record China) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091004-00000001-rcdc-cn 私はこの統計の調査方法や質問形式が分からないために、この結果自体よりも、むしろ私と同じように調査方法や質問形式を知らないであろう、あるいは持っている情報量が私と同じ程度にあるだろう一般の日本人の反応に興味がある。 このニュースがYahooで配信されて約三時間後、大雑把にブログ上の反応を検索したが、そこには「ふ〜ん」といった反応だけで言葉が継がれていないものが散見され、日本国内の愛国心へのネガティブイメージと調査結果とのギャップに対する戸惑いを想像させた。 それに比較して掲示板の方により率直な感想があり(これは一部のブログにも見られたが)それは「今の日本に愛国心なんて持てるわけないよ」といった類いの反応で、これらは今回の調査結果と国内の経済や生活の状況とを直接に結びつけた反応であると思われた。 ここまで読んだ私の感想は、これらブログや掲示板の反応が前提とする愛国心の解釈と、今回の調査の表題となっている「Trust and admiration by country」との間にTrustの解釈をめぐって隔たりがあるのではないかということだ。 Trustは根拠や見返りに基づかない確固とした信頼を指す言葉で、これは今日一般に使用される愛国心に多く含まれているLove、つまりJapanをLoveするという観念と異なって更に踏み込んだ、いわば忠誠心に近いものであるように思う。 こういった差異が例えば「学校教育では愛国心を育てられない」という考えに繋がっているように思われ、それはそれで学校は家族への愛を育むところではないために道理ではあるのだが、これが忠誠心となると反対に家庭で教えることには限界があるように思われる。 それは家族への無償の愛というものが家族との連続的接触によって深められる可能性を持つのと異なり、国という実体のない観念に信頼を置く忠誠心は、対象との連続的接触が望めない以上、公教育によって観念的あるいは象徴的に教え込むより他に方法がないためである。 このように経済や生活の状況と結びついた功利的な愛国心、あるいは実体あるものへ捧げる愛と混同された愛国心というものが、いつの頃から広がったのか私は不勉強で知らないが、少なくともそれが現代日本人の一般通念であることは間違いないように思われる。 『月に吠える犬』J.ミロ 1926年(部分拡大)愛国心を具体的に捉えるのは難しいが、私の場合は愛国心をグラフィックなイメージの例で示すとしたら、やっぱりこの画かな。
by hishikai
| 2009-10-04 13:16
| 憲法・政治哲学
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