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2009年 10月 04日
追悼 中川昭一『飛翔する日本』より抜粋二編
「中川昭一の特徴」より

先日ある学者の方と酒を飲んでいて「悲観的楽観主義者、楽観的楽観主義者、楽観的悲観主義者はけっこういるが、中川さんは悲観的悲観主義者。珍しい政治家ですね」と言われた。「悲観的悲観主義者」がどういうものかはわからないが、自分では悲観的だとも悲観論者だとも思っていない。ただどちらかというと物事を悪い方から見るところはある。小児喘息で学校に通えない時期があったり、高校三年の受験勉強をする時期に体調を崩して大学受験で楽勝と思ったら見事に二度も落ちたりと、小さい頃からの挫折体験が影響しているのかもしれない。しかしこれまでは目標に対して悲観的に入って結果を出してきた。私は私なりに、政治家としての目標を達成するしかないと、そこは割り切っている。

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「豊かさがもたらした新たな試練」より

 少なくとも政治家は「一生懸命やった」「頑張った」だけでは評価されない。国を衰退させ、国民に不利益をもたらした政治家が「これだけのことをやりました。一生懸命頑張った自分をほめてやりたい」と言っても、国民は共感しない。出てくるのはため息ばかりだろう。政治に問われるのは「結果」だ。日本の直面している国際競争で生き残るためには、「自分としては頑張った」のでは不十分であり、「日本の国力・活力を高める」という意識と目標設定、そして適切な対応が必要となる。(中略)
 本来政治家というものには国家や様々の利害が関わっているだけに、危険が伴っている。暗殺の危険さえある。「国を守るために戦う」という重大な権限も付与されている。その点で、アメリカ、ロシア、フランスの大統領や中国、アフリカ等、世界の多くの指導者たちは、死や戦争といった危機に対する臨場感と緊迫感があるように感じる。日本の総理大臣にも自衛のための戦争を選択する権限があるけれども、歴代の首相がどの程度その意識を持っていたかどうかわからない。しかし、熾烈な国際競争の中で、自らの判断と行動で生きざるを得ない時代を日本はたぶん、戦後初めて迎えた。政治に携わる者は日本のために命をかける決意がなければ務まらない。それが今日の日本における政治家の必須条件だと思っている。(中川昭一/『飛翔する日本』より抜粋)

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by hishikai | 2009-10-04 19:36 | 憲法・政治哲学


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