2009年 11月 14日
大倉ひとみさんの「陋巷画日記」
e0130549_923159.jpg昭和十二年に発表された永井荷風の小説『墨東綺譚』の主人公・大江匡は馴染みの商女お雪から「あなた、おかみさんにしてくれない」と告げられ彼女のもとを去って自ら失恋する。これは大江が妻となったお雪の「一変して救ふ可からざる懶婦となるか、然らざれば制御しがたい悍婦になる」ことを惧れたからである。

戦後、これに否定的な評言をしたのは平野謙である。彼は昭和三十九年『芸術と実生活』の中で「『おかみさんにしてくれない』とさえいえば、懶婦か悍婦たらんと希うものと誤認する根性は、小金持の若旦那が人さえ寄ってくれば金をひきだす算段かと邪推するのと一般ではないか」と荷風の構想を痛罵している。

こうした対立はどう捉えたらよいであろうか。遡って大正四年に発表された『日和下駄』で永井荷風は、近代の思考に移ろう日本人一般と底辺社会との関係、その中で衰微してゆく日本的な美しさについて次のように述べている。

「場末の路地や裏長屋には仏教的迷信を背景にして江戸時代から伝襲し来ったそのままなる日陰の生活がある。(中略)かくのごときはかない裏淋しい諦めの精神修養が漸次新時代の教育その他のために消滅し、いたずらに覚醒と反抗の新空気に触れるに至ったならば、私はその時こそ真に下層社会の悲惨な生活が開始せられるのだ。そして政治家と新聞記者とが十分に私欲を満たす時が来るのだと信じている」

こうした考えを念頭に『墨東綺譚』を読むならばこう云えると思う。お雪さんは、それが身をひさぐ女性の社会的な弱さから仕方なく強いられたものであるせよ、江戸時代から伝襲し来ったそのままなる日陰の生活、はかない裏淋しい諦めの精神修養の表象である。だがそれが世間並みの自尊心を持つとき、彼女は真に近代社会の悲惨な生活に転落する。大江匡はそれを見るに忍びなかったのだ、と。

しかしこのような解釈に対する戸惑いと拒絶は、戦後人権思想を植え付けられた私たちの脳裏にはいつでもある。平野謙の否定的評言は、その典型的な現れであると云ってよい。だがそうした戸惑いと拒絶は「美を道徳的に判断する」思考に他ならない。

そしてその思考が国風の美の理解と相容れないばかりか、その美しさの国民的理解を妨げてきたのである。むしろいにしえの日本人はその正反対を考えてきた。「道徳を美的に判断する」これである。これは万葉古今以来の古典を素直に読めば明らかで、ここに私たちは人権思想による改竄の一点一画も加えてはならない。

こうした国風の「道徳を美的に判断する」意識は大倉ひとみさんの絵画にもあると思う。それは彼女の個展「陋巷画日記」に銘された「陋巷」が、今日ではマンションや雑居ビルに埋もれるように建っているという現実の中で、大倉さんが周囲の一切を捨象して「陋巷」それ自体に美しさを集めていることからも分かる。

「陋巷」は戦後的発想に従うならば忌むべきものである。試しに現実と同じに周囲の建物を描くならば、比較の上から「陋巷」は貧民窟となり、その印象は私たち戦後人の脳裏で道徳的主張を始めるであろう。それは荷風の言葉を借りるならば、覚醒と反抗の新空気、政治家と新聞記者の私欲、懶婦か悍婦と変わるところがない。

しかし大倉さんの描く、この世を夢とあきらめ暮らすようなぽつねんとした「陋巷」は、古来より伝襲し来ったそのままなる日陰の生活、はかない裏淋しい諦めの精神の表象として、紅い灯や青い灯、時代遅れの丸い窓、小さなステンドグラス、三日月の下に佇む赤錆びたトタンの美しさを教えて呉れる。

そして視る者を、その折れ曲がって先の見えない、昔はアーケードやパラダイスと呼ばれた誰もいない裏路地の奥へと誘う。そんな夢想を許してくれる大倉さんの「陋巷」は、たぶん荷風のお雪さんと同じ夢の中で泣く、哀しいミューズの化身なのである。妄言多罪。

今日の都市で「陋巷」を探すことは至難の業となっている。殊に東京の下町を散策すると一層そのことを実感する。本当は戦前の建物があれば好いのだが、現実は望むべくもない。それは近年の都市開発よりも、むしろ東京大空襲によるところが大きいのであろう。

by hishikai | 2009-11-14 09:05 | 文化


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