2010年 04月 06日
野田俊彦『建築非芸術論』より
e0130549_1025215.jpg※1)建築の實用的目的、自然の気候的壓迫から人間を保護して其生活を完全ならしめんとする目的に何等の貢献もなさないが人に快感を與ふる物がある。凸凹なしに無地にて差支ない壁を縦横に仕切つて之れに繰形を作り柱型を出し彫刻を施したり色分けをしたりする。

見る者に快感を與へんが為である。この種の快感が人間生活を充分に遂行せしむるものとなるとか、其快感が無ければ生きて居られぬとかの理由から人生に貢献するものであり、其快感を生せしむる原因に存在の理由があるかも知れぬと云ふ問題が未だ残つて居る。※2)

而して吾々が若し建築に美が必要であると云ふ事を肯ひ得るとすれば其美は上の如き意味の美でなければならぬ。此れを必要とし不必要とするのは各人の人生観から分かれて来る。快感を感ずる事それ自身人生の幸福を増す物であると考へる者には其美の存在が必要であるかも知れない。

けれ共自分は序に於いて、一も二も無く其の必要を肯定する譯にはいかぬと述べた。※3)吾々には酒や煙草が眞面目な意味で用ゐられては居ない様に其種の美は不眞面目である。酒や煙草は人體に害あるが故に排斥すべきであるが單なる美しきものを作ること事や鑑賞する事は人類に有害ならざる故に許す可きであると言ひ得るであろうか。

酒や煙草を以て自分には事務の進捗に役立つ物であると言ひ、又それが無くては生きて居られぬ故にそれ等は自分には必需品であると言ふ者は必ずやそれ等から受ける快感に慣れて之れから離れる事の出来なくなつた者である。

吾々は快感の刺激物としてより外に意味のない美に慣らされて居る。それから離れる事は出来ない様になつて終つて居るかも知れない。然し決して其の必要を主張し得るものではない。それ等の虚偽な美の無くなる時を理想にしている。斯くて世界は装飾的分子の少しも無くなつた物になる。而かも吾々の人生は其為に荒涼落莫たるものとなるかを怖れる必要は無い。却て眞の美を以て世界が充たされるであろう。(野田俊彦/『建築非芸術論』)

※1)野田は人間の行為の価値は、人類の幸福に貢献するか否かであるとする。そして美を追求する行為は人間を淫らで誤った方向に導くために、無価値であるばかりか有害な行為で、したがって建築を美しくしようとする行為も誤りであると断じている。

※2)この段落に至るまでに※1)の前提から、建築の外観上の装飾についての論駁を終え、あとは野田が言うところの「見る者に快感を與へんが為」の美についての論駁が残るだけであるとの意。

※3)野田は本論冒頭において、例えば食事の目的は栄養素の摂取で、味覚の「快感」を得ることではなく、したがって食事に味覚は必要不可欠の要素とは言えない、それと同じ意味で、建築の目的は自然条件から人間を保護することで、美の「快感」を得ることではなく、したがって建築に美は必要不可欠の要素とは言えないという主張を展開している。

科学で作られた笑い この愉快そうな人は、ギローム・ダッチェン博士が作った電気装置を取り付けられている。装置が強制的に笑いの表情を作り出すのである。19世紀の多くの人々にとって、科学とは信仰と芸術、哲学に代わる希望と幸福への鍵であった。野田俊彦が『建築非芸術論』を発表した大正四年(1915)の日本もまた例外ではなかった。

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by hishikai | 2010-04-06 10:30 | 文化


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