2010年 07月 02日
小瀬温泉
e0130549_16361959.jpg小瀬温泉は軽井沢を北へ一里ほど登ったところにある。一時間に一本通じるバスで断崖の細い上り坂を揺られて行くと、窓の外には梅雨時の若々しい緑がどこまでも広がり、雲の切れ間から射す光が木漏れ日となって、車中を前から後ろへと流れていく。

バスを降りて、森の中の小径をトランクと傘を持って歩く。小川の流れる音、葉の風に鳴る音、鳥の呼び交う声とが聴こえるばかりで、他には何もない。見上げれば、木々の間を大きな鳥が一羽、ゆっくりと飛び去ってゆく。しばらく歩くと一軒の小さな宿に着く。

部屋は八畳の日本間で、窓の下に細長い板の間がある。そこにトランクを置き、傘を押入れにしまい、麻の三揃えの背広を衣紋掛けにかけると、さっそく露天風呂へ行く。湯の中に立ち、腰に手を当てて森を見渡せば、緑、緑、緑、体の中まで緑色に染まるようだ。

浴衣で部屋に戻りトランクを開け、白い函入りの赤い布表紙の本を取り出す。背に『増補 日本浪漫派批判序説 橋川文三』とある。コップの冷たい水を飲み、座椅子に腰を下ろし、白い函を抜き、広い机の上に赤い布表紙を開け、最初のページを繰る。

「この特異なウルトラ・ナショナリストの文学グループは、むしろ戦後は忘れられていた。それはあの戦争とファシズムの時代の奇怪な悪夢として、あるいはその悪夢の中に生まれたおぞましい神がかりの悪夢として、いまさら思い出すのも胸くその悪いような錯乱の記憶として、文学史の片すみにおき去りにされている」(橋川文三/『日本浪漫派批判序説』)

日本浪漫派は保田與重郎を中心に昭和初期から敗戦まで続く文学運動で、文明開化の精神とプロレタリア運動と日本主義とを斥け、日本人に頽廃ともいえるほどに古典美への回帰を呼びかける。殊にその主張は、戦中の学徒動員や勤労動員下の青年たちに支持される。

著者の橋川文三は丸山眞男に師事した政治思想史の研究者で、自身も日本浪漫派に「いかれた」戦中の記憶を持つ。その語り口調は戦中と戦後の二つの日本を生きた人の静かな告白の風を呈している。「みごとな文体」と後年、三島由紀夫は橋川宛の書簡に記している。

「私たちと同年のある若者は、保田の説くことがらの究極的様相を感じとり、古事記をいだいてただ南海のジャングルに腐らんとした屍となることを熱望していた!少なくとも『純心な』青年の場合、保田のイロニイの帰結はそのような形をとったと思われる」(同上)

渾々と読み耽り、部屋を出て風呂場へ行くと、浴室の大きな硝子窓の向こうで、夜が白々と明けてゆく。湯は透明で柔らかく、豊かに湧くがままになって流れてゆく。体を沈め、手足を思う存分に伸ばす。明日も、あさっても、こうして本を読もう。

宿の近くの竜返しの滝。山道の入り口に「野生動物〈クマ〉生息地域」と書かれた看板があり、思案の末、滝まで往復の道のりを大きな声で歌いながら歩く。曲目は「愛国行進曲」と「森のくまさん」で、ときに歌詞となり、ときに伴奏となる。冷たい汗が流れ、次第に早足となる。

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by hishikai | 2010-07-02 16:49 | 文学


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