2010年 07月 12日
近代国民国家との遭遇
e0130549_1355931.jpg昭和二十年八月十三日の夜、東郷外務大臣と梅津、豊田両総長がバーンズ回答文を受諾するかしないかで会談している首相官邸に大西瀧治郎が姿を現した。軍令部次長であるが閣議の外にいる人間だから、横から口をはさむのは越権行為であることを承知で嘆願した。

「私は今次戦争勃発以来、戦争をどうすればよいかということを日夜考え続けて来たつもりだった。しかしこの両三日になって考えてみると、これまで戦争を考えた考え方が、いかに真に真剣なるものに及ばなかったかが判った。私はこの両三日ほど戦争を真剣に考えたことはない。我々は自分では気付かずにいたが、真に戦争を考えたことはなかったのだ。この点は国民の全部がそうではなかろうか。今この真剣さをもって考えたら、必ず良い作戦が策出せられ、陛下を御安心させ申し上げることが出来よう。」(迫水久常/『降伏時の真相』)

吶々として声涙ともに下る言葉で、居合わせた者の胸を打ったが、今しばらくの時日を得て敵に最後の一撃をというのであれば、梅津も豊田も同じ考えであるはずだが、彼らは黙して語らなかったという。ややあって大西は、迫水の手を握ると淋しく去って行った。

大西の言葉には恐ろしくも、しかし奇妙な触感がある。恐ろしいというのは、玉砕を否定しながら「全国民を戦力化して敵を殲滅せよ」と言う大西の「真剣」に本土決戦を委ねたならば、現在想像するより遥かに壮絶な運命が、日本人を襲ったであろうという意味で。

奇妙なというのは、海兵入学以来三十余年のあいだ、戦争を「日夜考え続けて来た」大西瀧治郎という人間が祖国の滅亡に臨み、思念の地獄の道端で、外道な合理神を超える殺戮神と出会った、その体験の驚きの報告であるように見受けられるという意味である。

その殺戮神が何であったのか、私は近代国民国家であったと思う。それは近代史の中から共同体を乗り越えて出現したもので、共同体が共同を他者にも意識する性質であるのに比較して、近代国民国家はそういった共同を一切排除した、無道徳の玉座に君臨する王である。

道義国家建設とか、五族共和王道楽土とか、悠久の大義とか、天佑神助とか、国体護持とか、そういう生暖かい観念は、一つの列島に一つの民族が美しい四季のもとに営んで来た共同体の道徳の吐かせる言葉で、およそ近代国民国家とは縁もゆかりもない。

その驚きを大西は「我々は…戦争を真剣に考えたことはない」「国民の全部がそうではなかろうか」と言っている。これは例えば、A.ヒトラーの「戦争を遂行するにあたっては正義など問題ではなく、要は勝利にあるのだ」という言葉と、同じ曲の序奏を成している。

赤坂で南京陥落を祝うダンサーたち 昭和十二年 私たちは善きにつけ悪しきにつけ国家統治に道徳を持ち込んで来た。いや、国家と道徳を同じものと考えて来たと言ってもよい。このことが今日でも続けられていることは、例えば外国人参政権法案や東アジア共同体構想を支持する人々の心の底に、歴史の贖罪意識が通奏低音として流れていることを聴けば明らかである。しかし知っておくべきは、その被害者を名乗る民族でさえ、こと国家行動の原理には、一片の道徳心も持ち合わせてはいないということである。

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by hishikai | 2010-07-12 13:15 | 憲法・政治哲学


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