2010年 07月 15日
名文
e0130549_1572481.jpgいや、なるほど君の言うことは筋が通っている。宙で憶えているほど練りに練った理屈だからな。そしてたしかに、いろんなことがみなぴったりと君の説明に当てはまる。それは認める。君の理屈で説明のつくことは実に多い。

だが、その説明では取り逃がしてしまうことも実に多いではないか。世の中には、君の理屈以外に理屈はないのか。誰もかれも、みんな君一人のことにかまけきっていると君は言うのか。なるほど瑣細な事件はいちいち君の言うとおりだとしよう。

往来で君と擦れちがう男が、君のほうを見ないとして、それは奴が陰謀を洩らさぬために、わざとそうしているのだと認めよう。あるいは警官が君の名前を訊いたとして、知っているのにわざわざ訊いていたのだと認めてもよい。

だが、こういう連中は実は君のことなどてんで気にもとめていないのだと君が知ったら、そのほうがどれだけ幸福か、君は考えてみたことはないのだろうか。君がこの世の中でいかにちっぽけな存在かを知れば、この世の中が君にとってどれほど広々した存在となることか。

普通の人間は、他人に対して、ただ普通の好奇心と喜びを持っているだけだ。君もただ虚心にそれを眺めさえすればそれでいい。他人は君に興味なぞ持ってはいないからこそ、君は彼らに興味を持つことができるのだ。

今の君は、せせこましくもけばけばしい劇場だ。やっている芝居は相も変わらず、いつでも君が作者で、君が主役で、そして君が観客だときている。こんな息のつまる劇場は叩き壊して、思いきりよく外へ飛び出せ。そこにはのびやかな空が広がり、街路の見知らぬ人びとの群が無限の歓びを君に与えてくれるだろう。

(G.K.チェスタトン 著 福田恆存・安西徹雄 訳/『正統とは何か』より)

世界と自分の関係について「普通」に考えることは案外に難しい。生きていれば息のつまることや、いろいろと嫌なこともある。そんなとき、G.K.チェスタトンの文章は、扉を開けること、外へ出かけること、深呼吸をすること、空を見上げること、鳥の声に耳を傾けることの大切さを教えてくれる。

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by hishikai | 2010-07-15 15:09 | 文学


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