2010年 07月 24日
「逝きし世」という感覚
e0130549_17262877.jpg渡辺京二の『逝きし世の面影』は平成十年の発行以来、多くの人々に読まれ「和辻哲郎文化賞」も受賞した名著だが、実際のところ日本人の読者が彼の歴史感覚を、自身のこととして深刻に受止めたかは疑わしいように思う。その冒頭に記された箇所を引用する。

「私はいま、日本近代を主人公とする長い物語の発端に立っている。物語はまず、一つの文明の滅亡から始まる。
 日本近代が古い日本の制度や文物のいわば蛮勇を振った清算の上に建設されたことは、あらあためて注意するまでもない陳腐な常識であるだろう。だがその清算がひとつのユニークな文明の滅亡を意味したことは、その様々な含意もあわせて十分に自覚されているとはいえない。十分どころか、われわれはまだ、近代以前の文明はただ変貌しただけで、おなじ日本という文明が時代の装いを替えて今日も続いていると信じているのではなかろうか。つまりすべては、日本文化という持続する実体の変容の過程にすぎないと、おめでたくも錯覚して来たのではあるまいか。
 実は、一回かぎりの有機的な個性としての文明が滅んだのだった。それは江戸文明とか徳川文明とか俗称されるもので、十八世紀初頭に確立し、十九世紀を通じて存続した古い日本の生活様式である。」(渡辺京二/『逝きし世の面影』)

ここに言われている文明は民族のメンタリティーではなく、もしも私たちが江戸時代へとタイムスリップしたならば、そこで現実に目の当たりにする、建築や着物や装身具や様々な物売りの姿で構成された世界と、それを現実としている価値観のことであろう。

そうだとしても、確かに私たちは同じ時間軸の上を江戸から明治へと、転がるように文明が姿を変え、それが現代まで綿々と続いて来たと考えているわけで、江戸文明の廃墟の上に、明治という全く別の文明が近代国民国家の体裁で出現したとは考えていない。

だから渡辺京二の歴史感覚は私たちには耐えがたいものかも知れないが、それでも私たちの側からしても、例えば岡本綺堂今泉みねの文章に、当時彼らが経験した江戸的な生活の滅亡が克明に描かれている以上、私たちはその事実に対して率直に向き合うべきであろう。

小粋な女 1860年代 ベアト 島田くずしに吾妻下駄で帯に手を入れる姿が、江戸下町の女性の粋であったようだ。当時は着こなしを見れば下町の人間を判別できたというが、この写真を見るとそれも頷ける。

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※当ブログ管理人のニックネームを「菱海孫」から「菱海」へ変更致しました。今後ともご愛読のほど、よろしくお願い申し上げます。

by hishikai | 2010-07-24 17:27 | 文化


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