2010年 07月 29日
夕涼み
e0130549_15434911.jpg私の住む郊外では高速道路の建設が行なわれている。先日も建設用地の広大な空き地の遥か彼方、江戸川の上の大きな夜空の中に、柴又の花火の鮮やかに咲き誇るのを、再び戻らぬ過客を見送るように、妻とふたり工事用の鉄冊にもたれて眺めた。

江戸の夕涼みは旧暦五月二十八日の川開きを頂点とする。これは両国橋辺の両岸を八月二十八日までの三ヶ月間だけ歓楽地として御上が認めるもので、この間は川下にかけて葭簀ばりの華やかな茶店が並び、あらゆる物売や見世物がごった煮のように集まる。

ここにやって来る人の群といえば凄いもので、平賀源内によると「人群衆は諸国の人家を空しくして来るかと思はれ、ごみほこりの空に満つるは、世界の雲も此処より生ずる心地ぞせらる」というのだから、それこそ押すな押すなの大混雑である。

第一の呼び物はやはり花火だが、どうやらそれが美しいとか芸術的だとかの理由から歓ばれたのではないことは、例えば「小百両灰にする夜のおもしろさ」という川柳からも伺うことができ、その不埒な感覚が何ともいえず江戸らしい。

そして玉屋と鍵屋がけんらんたる技術を競い、両国界隈が人の山になるのだが、他の日でも小舟に乗った花火屋が客の希望で上げる。あるいは川辺の大名や豪商の催す花火の宴も連日のようにあるので、両国橋の上はいつでも人垣が築かれているという有様である。

そんな時に夕立でも来ると大騒ぎだが、舟を浮かべている人にとっては「屋形から人と思わぬ橋の上」と優越感にひたることができる。また、そうした人生の悲喜を「あれも一生、これも一生」と、鋳掛道具を川に投げ込んで泥棒に転身する鋳掛屋松五郎のような人もある。

あたりまえだが全ての人が隅田川辺で花火を見物したわけではないようで、演劇評論家の秋山安三郎氏は、ご自身の幼かった明治中頃の思い出を次のように語っている。
「私などは貧乏長屋で育った子供なもんだから、いつも川開きの花火見物はゴミ箱に上がって背伸びしては遠く花火の音のするたびに「玉屋ッ鍵屋ッ」を叫んでいた組で…」(秋山安三郎/『江戸と東京』)


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by hishikai | 2010-07-29 15:56 | 文化


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