2010年 10月 05日
倫理と国際政治についての譬え話
e0130549_18183925.jpgここである貧しい村に迷い込んだとしてみよう。

そこでは、今まさに軍人が3人の村人を壁の前に並ばせ処刑しようとしていた。あなたが「なぜ彼らを銃殺しようというのだ。悪人には見えないじゃないか」と聞くと、軍人は「昨晩この村の何者かが、私の部下の1人を殺したのだ。村の誰かが犯人であることはわかっている。だからこの3人を見せしめに銃殺するだけだ」と言うのであった。

あなたならこう答えないだろうか。「そんなことをしてはいけない。無実の人を殺すことになるじゃないか。仮にこの中の1人がやったとしても、少なくとも2人は無罪でしょう。ひょっとしたら3人とも無罪かもしれない。とにかく、やめなさい」と。

すると軍人は、部下からライフルを取り上げ、あなたに渡してこう言った。「それじゃ、もしお前がこの中の1人を殺したら、残りの2人を逃がしてやろう。1人殺せば、おまえは2人を救うことができるのだ。内戦のさなかでは、お前みたいな、自分一人正しいというような態度が通らないことを教えてやるさ」

さあ、どうすればいいだろうか。ランボーのように軍人たち全てをやっつけてしまおうとしても、相手は部下の軍人に、あなたに銃口を突き付けさせている。選択は2つに1つ。2人を救うために1人を殺すか、やはり銃を持たずに潔癖さを保つか、である。

カント的伝統に従えば、正しいことのみをすべきなのであるから、このような邪悪な行為を犯すことは拒否すべきだということになる。他方(ベンサムのような=引用者)功利的伝統に従えば、2人が救えるならすべきだということになる。

(ジョセフ・S・ナイ・ジュニア/『国際紛争』)

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by hishikai | 2010-10-05 18:22 | 憲法・政治哲学


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