2011年 02月 06日
朝香宮邸
e0130549_11371338.jpg私は、古い建物を訪れて、そこに暮した人々の気配が微かに空気を揺らして昔日の思い出を繰返し演じながら、しかもそれが真昼の花園のように楽しげであるとき、つくづく建築物とは夢の器であることを思う。そして朝香宮邸を訪れるとき、尚一層その感慨を確かにする。

物語は1923年(大正十二)4月1日に始まる。「エイプリルフールの冗談でしょ!」渡欧中の朝香宮鳩彦王が交通事故で重傷を負ったとの知らせを受け、そう叫んだと伝えられる允子妃殿下は、しかし事態の深刻さを悟り、船上の人となって欧州へ向かう。

6月、妃殿下がパリ近郊のアルトマン病院に駆けつけた時、鳩彦王がベッドに起き上がり、会話ができるまでに回復していた安堵は、病室で撮られた写真の、鳩彦王に寄添われる妃殿下の微笑に残されている。11月に退院、お二人はパリ16区のアパルトマンに居を移す。

「結婚とは手に手をとって冒険に繰り出すことだ」S.フィッツジェラルドの言葉は、その後のお二人の生活を象徴している。常に部屋に飾られた生花。レコードの奏でる音楽。自家用車での外出。トゥール・ダルジャンやメゾン・プルニエのようなレストランでの食事。

欧州各国への旅行は、イギリス・オランダ・ベルギー・ドイツ・オーストリア・デンマーク・ノルウェー・スウェーデン・スペイン・イタリアにまで及ぶ。アルプスでは互いの体をロープで繋いで氷河を渡り、南仏の山岳地帯ではゴーグルを被り自動車を疾駆させている。

こうして二年を過ごし、1925年(大正十四)12月に帰国されたお二人の胸中に、新しい時代の息吹を映した宮邸建設の青写真があったことは想像に難くない。その後、フランスとの間で幾通もの書簡の往復があり、1931年(昭和六)に建設工事は開始されている。

基本設計を担当したのは権田要吉を中心とする宮内省内匠寮。内装を担当したのは1925年にパリで開催された「現代装飾美術・産業美術国際博覧会」の中心的な存在であったアンリ・ラパン。照明を始めとするガラス工芸を担当したのは著名なルネ・ラリックである。

1933年(昭和八)朝香宮邸は完成する。そのアール・デコ様式の美しさは今日様々に讃えられるが、さらに感慨深いのは、その美しい造形が、単に美しい造形にとどまらず、お二人が冒険に繰り出された日々を再現した、夢の器となっていることである。

大客室より次室を臨む。シャンデリアはルネ・ラリックによる《ブカレスト》。その下はアンリ・ラパンがデザインして、フランス国立セーブル製陶所が制作した《ラパンの輝く器》。

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by hishikai | 2011-02-06 12:04 | 文化


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