2011年 02月 17日
近代の奔流
e0130549_1242777.jpg日本人が自国に流入した「近代」の奔流をどのように経験したかというイメージを探していたところ、谷崎潤一郎の『細雪』にあった。ただし、この「近代」の正体について、私の浅学の及ばぬところであろうし、ここでは触れない。その文章を引用する。

只今、と云いながら十になる息子の弘が息を切らして這入って来た。おや、学校はどうしたの、と云うと、今日は一時間で授業がお休みになったんだよ、水が出ると帰り路が危険になるからこれで帰って宜しいって云ったんだよ、へえ、水が出そうなのかい?と、女史がそう云うと、何云ってるんだい、僕が歩いて来る後から水がどんどん追っかけて来たんで、僕、追い付かれないように一生懸命駈けて来たんだ、と、弘少年が云っているうちに、もうざあッと音がして、庭に泥水の奔流が侵入して来、見る間に床へ上がってきそうなので、女史と妙子とで慌てて其方側の扉を締めた。と、今度は反対側の廊下の方で潮騒のようなざわめきが聞えて、今弘少年が這入って来た戸口から水が室内へ流れ込んで来た。
扉を中から締めたぐらいでは直ぐに開けられてしまうので、三人の体で暫く押さえつけていたが、それでもどしん、どしん、と、戸口を叩き割るように打つかって来る。三人は協力して、テーブルや椅子などで突っかい棒をして堰き止めていたが、やがて、安楽椅子を戸の内側へぺったりと寄せつけてその上に胡坐を掻いて頑張っていた少年が、「やあ」と大声で笑い出した。と云うのは、忽ち戸が開いて、安楽椅子が、坐っている少年ぐるみ浮き上がったのであった。まあ、大変だわ、レコードを濡らさないようにしてよ、と女史が云うので、大急ぎでキャビネットからレコードを出して、何処か高い所へ置くと云っても棚も何もないので、もう水に漬かっているピアノの上へ積み上げたりしていたが、そうこうするうちにお腹ぐらいの深さになって、三つ組みのテーブルだの、珈琲沸かしのグラスの球だの、砂糖壺だの、カーネーションの花だの、いろいろなものが室内の彼方此方にぽかりぽかり浮き始めた。女史が、あら、妙子さん、その人形大丈夫か知らと、暖炉棚の上に載っている、妙子の作った仏蘭西人形を気にしたので、大丈夫でっしゃろ、まさかそんなに来えしませんやろ、などと云っていたが、実際まだその時分には三人ながらいくらか面白半分にきゃッきゃッと云っていた。
弘少年が学校の鞄が流れて行くのを摑まえようとして体を伸ばした弾みに、浮いて来たラジオの角へ頭をコツンと打つけて「あ痛ア」と云った時なんか、女史も、妙子も、頭を押さえている当人も、可笑しくて笑いこけたりした。そして、何でも半時間ぐらいはそんな風に騒いでいたのであったが、或る瞬間から、急に三人申し合わせたように真剣な顔つきになって黙り込んでしまった。妙子が記憶するところでは、あッと思う間に乳の辺まで水が来たので、カーテンに摑まって壁に寄り添っていると、多分そのカーテンが触ったのであろう、頭の上から額が落ちて来て眼の前に浮かんだ。(谷崎潤一郎/『細雪』より)

鹿鳴館以降、盛んになった舞踏会。尊王攘夷から僅か二十年後の光景に、早くも今日の私たちの姿がある。

ブログランキング・にほんブログ村へ

by hishikai | 2011-02-17 12:06 | 文化


<< 上水道と下水道      「ピアノdeシネマ」 >>