2011年 02月 26日
私は二二六事件を殊更に美化しようとは思わないけれども、だからと云って、殊更に醜く考えようとも思わない。只、七十五年を経た今日でも、この季節になると事件が人々の口吻に上るのを見て、日本人の感情に触れる何かが、そこに潜んでいることを思う。 獄中所感 吾れ誤てり、噫、我れ誤てり。 自分の愚な為め是れが御忠義だと一途に思ひ込んで、家の事や母の事、弟達の事、気にかかりつつも涙を呑んで飛び込んでしまつた。 然るに其の結果は遂に此の通りの悲惨事に終わつた。噫、何たる事か、今更ら悔いても及ばぬ事と諦める心の底から、押さへても押さへても湧き上る痛恨悲憤の涙、微衷せめても天に通ぜよ。 我れ年僅かに十四歳、洋々たる前途の希望に輝きつつ幼年校に入り、爾来星霜十五年、人格劣等の自分乍ら唯唯陛下の御為めとのみ考へて居た。然るに噫、年三十歳、身を終る。今日自分に与へられたるものは叛乱の罪名、逆徒の汚名、此の痛恨、誰が知らう。 幼年校入校以来、今日に到る迄身は常に父母の許を離れ孝養の道を欠いて居た。此の一、二年漸く自分の心にも光明輝き、これからは母にも安楽な思ひをさせ、弟達をも自分の及ぶ限り世話をしやうと思つて心に勇み希望に燃えてゐた矢先、突如、一切は闇となり身は奈落の底に落下してしまつた。 永久に此の世で孝養はつくせぬ。噫、私は何も今更ら自分一個の命を惜しみはしない。が後の事を考へると辛い。母や祖母や弟達、何一つ御恩返しも出来ず心配をかけ悲痛な思ひをさせて自分が斃れて行くのは如何にも辛い。(竹嶌継夫「獄中所感」/『二・二六事件獄中手記・遺書』) 竹嶌継夫 明治四十年五月二十六日、陸軍少将竹嶌藤次郎の長男として生まれる。昭和三年、陸軍士官学校を主席・恩賜賞で卒業。陸士第四十期生。昭和九年、豊橋教導学校歩兵隊付きとなる。昭和十一年、上京して二二六事件に参加。命日、昭和十一年七月十二日。 写真 事件鎮圧後、帰隊する決起部隊兵士。
by hishikai
| 2011-02-26 09:10
| 昭和維新
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