2008年 02月 22日
二つの民主主義
e0130549_1224147.jpg「国民がたとえどんな意志を持っても、国民が欲するということだけで十分なのだ。そのあらゆる形式は全て善く、その意志は常に至上最高の法である」シェイエスによってフランス革命前夜に書かれたこの『第三階級とは何か』の一節は、そのまま我国の民主主義観を表しているようだ。

このような民主主義観をもって英国を眺めた場合、はたして英国は民主主義国家であろうか。1940年に米国の一市民がスペクテーター誌に一文を寄せて、次のように英国の政治体制を非難した。「民主主義は上層階級の者たちが、しかたなく与えている権利に立脚してはなりません。それは最も特権のない人達を基盤としなければならず『国民のもの』でなければなりません。従って貴国民は民主主義を求めて戦ってはいないのです」

これに対しI・ジェニングスは『英国憲法論』の中でこう反論している。「もし特権階級者とそうではない人達の間の争いで、国民が分裂することが民主主義に必要であるならば、英国に民主主義は存在しない。しかし、そのような民主主義は、英国の書物の中にも、英国民の経験の中にも見い出されてはいない」

では英国の民主主義とは何か。I・ジェニングスは言う。「我々の理解する民主主義とは、国民が自由であらねばならないこと。その自由な国民が統治者を選ばなければならないこと、および統治者が国民の希望に従って統治しなければならないことを意味するものなのである」

前者は民主主義の要諦を持たざる者の目標であると主張し、後者は民主主義の要諦を決定の手続であると主張する。果たして民主主義とは目標か、それとも手続か。

民主主義がアテネに始まるという文学的修辞を排し、さらにデモクラシーを民主主義と訳すことの危うさを考慮した上で、議会と革命のどちらが先に歴史の舞台に登場したかを考えるとき、本来の民主主義とは手続であり、持たざる者の目標をロマンティックに語ったものではないことは明らかであろう。

F・ハイエクは『法と立法と自由』の中で次のように言う。「民主主義の場合、特に、その言葉が単にある特定の統治方法を指しているに過ぎない、ということを我々は忘れてはならない。もともとそれはある政治的決定に至るための一定の手続を意味したに過ぎず、統治の目標がどうあるべきかについては何も指示してはいないのである。それでもそれは、人間がこれまで発見した統治方法の中で、統治者を平和的に変える唯一の方法だからこそ、それは貴重であり、戦って実現するに価値あるものなのだ」

by hishikai | 2008-02-22 12:25 | 憲法・政治哲学


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