2008年 03月 31日
墨堤散策記
e0130549_22462375.jpg風流は寒きものとは巧く言った詞である。昨夜来の雨が上がらぬのを良いことに、花盛りの向島堤を雨中の漫ろ歩きに洒落込もうと吾妻橋の東詰めまで踏み出してきたが、川風は身を斬る程に冷たく、吐く息も白い。といって今更引返すわけにも行かないので、まあ仕方がないと諦めて川上へ向かって歩き出す。

二人は吾妻橋を渡って向島へゆくと、ここもおびただしい人出である。その混雑をくぐって、二人は話しながら歩いた。自分はたんとも食わないのであるが、若い道連れに奢ってくれる積りらしく、老人は言問団子に休んで茶を飲んだ。この老人はまったく足が達者で、記者はとうとう梅若まで連れて行かれた。
「どうです、くたびれましたか。年寄のお供は余計にくたびれるもので、わたしも若いときに覚えがありますよ」
長い堤を引返して、二人は元の浅草へ出ると、老人は辞退する道連れを誘って、奴うなぎの二階へあがった。蒲焼で夕食を食ってここを出ると、広小路の春の灯は薄い靄の中に霞んでいた。(半七紹介状/岡本綺堂)

こういう文章を真に受けるからいけない。まして岡本綺堂が半七老人と歩いた道筋を辿ろうなどは、か弱い夢想に過ぎないのだ、と自分に文句を言いながらとぼとぼ歩いて行くと東武鉄道の蒸栗色の鉄橋が見える。そういえば永井荷風の『墨東綺譚』玉の井停車場跡の描写は、その取材を昭和十一年三月三十一日に行なったらしいと桶谷秀昭が書いていたな。だとすると今日ではないか。おお、何という奇縁。

堤に上がって見渡せば、桜は雨の中で今を盛りと咲き誇る。空は暗澹と東都を包んで薄墨を流し、川は春雨を集めて轟々と流れる。やがて言問橋を過ぎれば、さしもの浅草の喧噪もこの辺りまでは届かないとみえて、浪風の音が耳を聳やかす。緩く左へ蛇行した大川は消炭色の暗雲を映し、桜は両岸を埋め尽くして白く霞んでいる。対岸に目を凝らせば、待乳山の聖天様も山谷堀を従え雨に煙って佇む。

右手に言問団子を見ながら一旦市中に降りる。そろそろ梅若塚があるはずだ。それにしても、月天心、貧しき街を照らしけりとはこういう街をいうのだろう。嗚呼しかしどんな土地にも歴史は拭い難く染み付いている。それは人々の心に折り畳まれた悲しみの綾錦なのだ。道を往く古老の皺にもそれは刻まれている。梅若塚は木母寺の境内にあるはずだ。一寸聞いてみよう。もしもしお婆さん、木母寺は何処ですか、ええ、知らない。

前に京都で晴明神社を捜した時もこうだったな。晴明神社、知らないって。よく捜したら近所にあったじゃん。ましてこっちは謡曲『隅田川』の舞台だよ、全国で有名だよ。しょうがない、こうなったら一路奔走あるのみだな。歩け歩けどんどん歩け。白鬚橋も過ぎた、もうすぐ水神大橋だ、歩け歩け。

おお、あった。あったけどこれ何。お堂全体がガラスケースに入ってるよ。しかもお堂の扉が開いてて、中には工事用のドリルが転がっているだけだよ。お、ガラスケースの外にこんもり石が積んであるな。これかな。工事の人に聞いてみよう。すみません、これ梅若塚ですか、知らない、あ、やっぱり。そうだ納所で聞いてみよう。あれ、扉に鍵が掛かってるな。すみませ〜ん、ドンドン。誰もいないや。

無駄足だよ。ああ、そう思ったら急に足が痛くなってきた。そうだ、雨が上がったから傘をたたんで杖にして帰ろう。くそっ、見てろよ、浅草に帰ったら奴うなぎで熱燗だ。あたたた。これじゃ『隅田川』じゃなくて『弱法師』だよ。足もとはよろよろと げにも真の弱法師とて⋯

by hishikai | 2008-03-31 23:04 | 文化


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