2008年 04月 08日
別国という考え方
e0130549_2415450.jpg日本史のなかに連続してきた諸政権は、大づかみな印象としては、国民や他国のひとびとに対しておだやかで柔和だった。ただ、昭和五、六年ごろから敗戦までの十数年間の日本は、別国の観があり、自国を亡ぼしたばかりか、他国にも迷惑をかけた。(別国/司馬遼太郎)

全体の中からある一部分を「あれは本当の私達の姿ではない」と断定して、これを切除することで他の大部分の面子を立てようとするのが司馬遼太郎のやり方である。もっともそれ自体は彼の商売の方法であるから、一々非難するにはあたらない。問題はそのような歴史観を真に受ける方にある。

司馬遼太郎の歴史小説を読むことで、日本人は敗戦で失いかけた祖国への誇りを取り戻すことが出来たという話を以前に耳にしたことがあり、司馬遼太郎の歴史小説を読まない私は、そういう歴史の切除手術が多くの日本人の間で受け入れられていることに愕然とした記憶がある。

司馬遼太郎の歴史観は、統治者の判断に関与する大衆世論の力を小さく見積ることで歴史の責任を特定の個人に絞り込み、結果として大衆を免罪し、さらに特定された個人のメンタリティーを各時代の塗り分けにまで拡大することで歴史の解釈を安易にする。

このような考え方の根底には、大衆の強い影響力は戦後の国民主権のもとで始めて確保されたのだとする固陋な信念がある。しかしおよそ国民国家といわれるものが、その初期より実質的な大衆主権とならざるを得ないものであったということは、それこそ実際の近代史を振り返れば簡単に分ることで、上述のような固陋な信念は戦後日本創成の神話の産物に過ぎない。

これは国民国家の制度思想史が、大衆世論の統治への反映をいかにして制御するかに腐心しながらも、実際には失敗の繰り返しであったことを見ても明らかで、これは洋の東西を問うことがなく、したがって戦前の日本もまた然りである。しかしそのことは一方で大衆の資質が即ち国家の資質とならざるを得ない国民国家の特性を表すと共に、また一方で国民国家における大衆の役割と責任の大きさを物語っているのである。

そういう統治の現実と向き合うことをまず前提とするならば、歴史の責任を特定の個人に還元し、ある時代を非遺伝的な存在として切り捨てて、ある時代を合理精神のあるものとして賛美するような虫の良い歴史観を容認することはできないはずだ。それは国民国家を構成する個人の考え方としては無責任である。

昭和初期から敗戦にかけての十数年間は、それに先立つ大正や明治と矛盾するものではない。むしろその延長として歴史に現出したのだ。そこには日比谷の暴動や国体明徴運動を始めとする国民世論の動向が大きく関与している。それすら一部指導者や軍人に扇動されたの騙されたのと言うのでは、個人は歴史の主体としての資格を失う。

私達の歴史に別国などない。あるのは懸命に生きる父祖達の姿である。その人々を巻き込んで流れる一筋の時間の奔流である。だから日本の歴史は私達一人ひとりが一括して引受けなければならない。たとえそれがどんなに愚かで不合理でも、責任を一部の個人に押し付けて自分達だけが歴史から逃げを打つことは許されない。そのような手段で取り戻した誇りなどは、恥ずべき偽物である。

by hishikai | 2008-04-08 02:51 | 憲法・政治哲学


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