2008年 04月 12日
新内考
e0130549_17532483.jpg新内流しは唐桟の着物に松葉づくしか何かの手拭いを吉原かぶりにして、自ら三味線を弾きながら後ろに装飾音を奏でる上調子を相方に連れ、秋虫の鳴くような音曲と共に市中を流し歩いて、客に呼ばれれば軒先きに立ち、三味線の伴奏を背景として男女の悲恋物語を新内節の哀調な旋律に乗せて語り聞かせるものである。或いは舟に乗ってこれを行なう者もあり、川筋の料亭では彼らを窓下に呼び寄せて演奏させ、客は座敷きの内に居ながら川浪の音と共にこれを翫賞するということも行なわれていた。

それは同じ豊後節系統の江戸浄瑠璃の中でも、常磐津や清元が歌舞伎の随伴者であったのとは対照的に、その地位を維持することが叶わなかった新内伝承者の糊口の道を求める零落の姿に他ならない。そのため新内には大規模な集団演奏も大掛かりな音響効果もなく、それが為に却って節調は哀切を帯び、伴奏は簡素な奏法へ収斂されていく。そして火の用心の打木も過ぎた頃、深と静まり返った夜の向うから新内流しの寂しげな音が聞こえて来るという詩情を、江戸市井の人々、わけても身を鬻ぐ遊里の女達は愛した。

客にとっても遊女にとっても深みにはまりこそすれ、這い上がることの出来ないように仕組まれた世界、自由のない境涯、そこを脱け出て真実の愛に生きようと念ずる者たちにとって、新内節は蠱惑耽溺の節調であろう。やるせなさ、脆さ、切なさ、儚さに沈淪している陋巷の人々の耳朶をうつ、素裸の人生の深奥の叫びであったに違いない。(いきの源流/関光三)

そのことを私も以前に広津柳浪の同名の小説に題をとった『今戸心中』を聞いた時に思ったのである。これは己の愛する平田という男に捨てられた遊女吉里が、それまで散々袖にしていた古着売りの男の絶望を自らの絶望に重ねることで理解し、その絶望と絶望が互いに抱き合い同情の果てに今戸堀に身を投げる悲恋情話である。

そのとき朋輩の女に宛てた別れの手紙に吉里が自らの名を源氏名の「吉里」ではなく本名の「さと」と書いたこと、それを読んだ朋輩の女が二人の行末を悟って泣きながら櫺子窓に寄り添うこと、そのときの「太郎稲荷や入谷、金杉。人家の灯りちらちらと」という旋律の何とも言えず悲しいことに私は落涙を禁じ得なかった。恥ずかしい事であるがこればかりは仕方がない。それほどまでに新内は江戸文化の闇に咲く見窄らしくも可憐な花であった。

by hishikai | 2008-04-12 18:10 | 文化


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