2008年 05月 15日
バス
e0130549_1423428.jpg私の暮らしている千葉県市川市ではバスの料金は降車の時に払う。距離に応じた料金となるため客により金額が異なる。で、どうしても一列に並び一人ずつ料金を払い降りて行くのだが、このとき近年の学生諸君の間では運転手に向かい「ありがとうございました」と言うのが決まり事になっているらしい。

おそらくこれは安全運行に感謝の意思を表明するものであろうが、私にはこれが何か奇異な行為であるように感ぜられてならない。他者に感謝の意思を表明するという行為は美しいかも知れないが、一方でこういった事には内実が伴わない場合、虚礼であるとか、ややもすれば偽善であるという感も全く無しとはいえない。

もっとも学生諸君に悪いところはなく、こういうことは職員会議だか教育委員会だか、はたまた外部の道徳信奉者の団体が提案して授業の一環として教えてきた結果であろう。しかし一般には売り手が礼を言うのが普通で、買い手が礼を言うというのは私達の習慣にはないように思う。

但し私は客が偉いなどと野暮を言うつもりはない。売る側も買う側もお互いの為なのだから、どちらが偉いの偉くないのということはない。つまりは互恵関係なのだから、売る側と買う側が互いに礼を言っても一向差し支えない。

しかしバスの運転手には礼を言わない輩も多い。よしんば言ったとしても「ありゃんした」みたいなもので、客が何人も降りるとなると「ありゃんした、ありゃんした、ありゃんした」となる。そんなものに対して律儀にも「ありがとうございました」などと言うのはどう考えても損をしている。

ならばお前だけ言わなければいいじゃないか、となりそうなものだが、これがそうもいかない。ああして学生諸君の誰も彼もが運転手に礼を述べると、礼を言わない人間は何か恩知らずのようになる。じゃあ私が学生諸君を見習って「ありがとうございました」をやるかといえば、やらない。やれば多勢に屈服したことになる。

ではどうするか。「サンキュー」では軽いし「悪いね」ではタダ乗りしたみたいで駄目だ。「ありゃんした」は美的観点からして好ましくない。そこで私はちょっとだけ手を上げる。これならば学生諸君が見ても屈服したとは映らないだろうし、そういう手の癖だと思ってくれるかも知れない。

by hishikai | 2008-05-15 01:48 | 日常


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