2008年 06月 03日
憲法の描いた戯画
e0130549_1345195.jpg自衛隊の基地建設のために保安林の指定を解除することの合憲性を争ったいわゆる「長沼ナイキ基地訴訟」の第一審判決が下されたのは1973年9月7日の札幌地裁に於いてであった。この中で札幌地裁は我国の戦力保持の可否について以下のような判断を示している。

まず憲法の前文から「わが国が、その侵略の危険にさらされるといつた事態が生じたときにも、わが国みずからが軍備を保持して、再度、武力をもつて相戦うことを容認するような思想は、まつたく見出すことはできない」として、法源である前文に武力の行使が想定されていないことを指摘。

次いで第九条に触れ、我国は「いつさいの『戦力』を保持しないとされる以上、軍隊、その他の戦力による自衛戦争、制裁戦争も、事実上おこなうことが不可能となつたものである」として、現行憲法下に於いて一切の戦力保持と武力行使は違法との認識を示す。

したがって自衛隊は「憲法第九条第二項によつてその保持を禁ぜられている『陸海空軍』という『戦力』に該当するものといわなければならない。そしてこのような各自衛隊の組織、編成、装備、行動などを規定している防衛庁設置法、自衛隊法その他これに関連する法規は、いずれも同様に、憲法の右条項に違反し、憲法第九八条によりその効力を有しえないもの」とする。

しかしながら自衛権については「現行憲法が、以上のように、その前文および第九条において、いつさいの戦力および軍備をもつことを禁止したとしても、このことは、わが国が、独立の主権国として、その固有の自衛権自体までも放棄したものと解すべきでないことは当然である」とこれを認める。

この自衛権がどのように行使されるのかについては「危急の侵害に対し、本来国内の治安維持を目的とする警察をもつてこれを排除する方法、民衆が武器をもつて抵抗する群民蜂起の方法もあり(中略)また国民の英知と努力によつてよりいつそう数多くの種類と方法が見出されていくべきものである」とこれを説明する。

群民蜂起。サラリーマンや主婦がカッターや包丁を手に、農家のおじさんやおばさんがトラクターで戦車に立ち向かう姿を想像すると失笑を禁じ得ない。これは全くの戯画である。しかしこの裁判官は狂っていない。狂った憲法を正常に解釈しているに過ぎないのだ。

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by hishikai | 2008-06-03 13:26 | 憲法・政治哲学


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