2008年 06月 20日
大虚構
e0130549_1037778.jpg三島由紀夫の割腹自決に接した司馬遼太郎は昭和45年11月に「異常な三島事件に接して─文学論的なその死」と題する短文を著わす。司馬は執筆の動機を「彼の死の薄汚れた模倣をするものが出るのではないかということを恐れ、ただそれだけの理由のために書く」として、その内容を次のように続ける。

「思想というものは、本来、大虚構であることを我々は知るべきである。思想は思想自体として存在し、思想自体にして高度の論理的結晶化をとげるところに思想の栄光があり、現実とは何のかかわりもなく、現実とかかわりがないというところにくりかえしていう思想の栄光がある」(異常な三島事件に接して/司馬遼太郎)

司馬遼太郎は動機で模倣者の出現を恐れ、内容で思想の現実化を求める行動者を戒めている。だがよく考えてみて欲しい。模倣者には思想などない。模倣者は思想なき模倣をするために模倣者なのだ。本当に模倣者の出現を恐れるのであれば、思想は大虚構であるなどと言う必要は全くない。

動機は嘘だ。文意を通せばこうなる。「思想を現実化しようとする行動者が(再び)出るのではないかということを恐れ、ただそれだけの理由のために書く。思想というものは、本来、大虚構であることを我々は知るべきである」

だが法や制度を始め私達の身の回りにあるもので思想を持たないものはない。近代文明とは思想を現実化しようとする運動なのだ。この頑迷な老人がそれを否定するのは、つまりこう言いたいのだ。日本人が思想などを考えると碌なことはない、もう懲り懲りだと。戦後はこういう臆病な現実主義を「常識」と呼んで持て囃してきた。

しかし曾ての日本には理想主義があった。夏目漱石は大正2年12月の「独立と模倣」と題する講演の中で乃木希典の殉死に触れて言う。我国で尊ばれるべきは人間のインデペンデントである、そのために深い思想を持たねばならぬ、その思想の発露たる行為が人に感銘を与えればそれは成功であると。

「あの乃木さんの死というものは至誠より出たものである。けれども一部には悪い結果が出た。それを真似して死ぬ奴が大変出た。(中略)そういう奴が出たのは仮に悪いとしても、乃木さんは決して不成功ではない。結果には多少悪いところがあっても、乃木さんの行為の至誠であるということはあなた方を感動せしめる。それが私には成功だと認められる」(独立と模倣/夏目漱石)

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by hishikai | 2008-06-20 13:25 | 文化


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