2008年 07月 11日
七月十二日を想起するに、涙新たなるものあり、余と磯部氏とは前夕、同志と一緒なりし獄舎より最南位にある一新獄舎に移さる。十二日朝、十五士の獄舎より国歌を斉唱するを聞き、次いで、万歳を連呼するを耳にす、午前七時より二、三時間軽機関銃、小銃の空包音に交じりて、拳銃の実包音を聞く、即ち死刑の執行なること手にとる如く感ぜらる。磯部氏遠くより余を呼んで「やられてゐますよ」と叫ぶ、余東北方面に面して坐し黙然合掌、噫、感無量、鉄腸も寸断せらるるの思あり、各獄舎より「万歳」「万歳」と叫ぶ声砌りに聞こゆ、入所中の多くの同志が、刑場に臨まんとする同志を送る悲痛の万歳なり、磯部氏又叫ぶ「私はやられたら直ぐ血みどろな姿で陛下の許に参りますよ」と、余も「僕も一緒に行く」と叫ぶ、嗚呼、今や一人の忠諫死諫の士なし、余は死して維新の招来成就に精進邁進せん。(二・二六事件獄中手記・遺書/村中孝次) 先月十二日は日本歴史の悲劇であった 同志は起床すると一同君が代を唱へ、又例の渋川の読経に和して冥目の祈りを捧げた様子で、余と村とは離れたる監房からわずかにその声をきくのであった 朝食を了りてしばらくすると 萬才萬才の声がしきりに起る 悲痛なる最後の声だ うらみの声だ 血と共にしぼり出す声だ 笑ひ声もきこえる その声たるや誠にいん惨である 悪鬼がゲラゲラと笑ふ声にも比較出来ぬ声だ 澄み切った非常なる怒りとうらみと憤激とから来る涙のはての笑声だ カラカラしたちっともウルヲイのない澄み切った笑声だ うれしくてたまらぬ時の涙よりももつともつとひどい 形容の出来ぬ悲しみの極の笑だ 余は泣けるならこんなときは泣いた方が楽だと思つたが、泣ける所か涙一滴出ぬ カラカラした気持でボヲートして 何だか気がとほくなつて 気狂ひの様に意味もなくゲラゲラと笑つてみたくなった 午前八時半頃からパンパンパンと急速な銃声をきく その度に胸を打たれる様な苦痛をおぼえた 余りに気が立つてヂットして居れぬので 詩を吟じてみようと思つてやつてみたが 声がうまく出ないのでやめて部屋をグルグルとまわつて何かしらブツブツ云ってみた 御経をとなえる程の心のヨユウも起こらぬのであつた(二・二六事件獄中手記・遺書/磯部淺一) この手記を残した村中孝次と磯部淺一は事件の首魁として、この日から更に約一年獄中にあった。彼ら二人は昭和十二年八月十九日に銃殺された。
by hishikai
| 2008-07-11 12:53
| 憲法・政治哲学
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