2008年 07月 19日
都下闃寂火の消えたるが如し
e0130549_13505588.jpg「明治四十五年七月二十日土曜日 晩天子重患の号外を手にす。尿毒症の由にて昏睡状態の旨報ぜらる。川開きの催し差留られたり。天子いまだ崩ぜず。川開きを禁ずるの必要なし。細民これがために困るもの多からん。当局者の没常識驚くべし。演劇その他の興業もの停止とか停止せぬとかにて騒ぐ有様也。

天子の病は万臣の同情に価す。然れども万民の営業直接天子の病気に害を与へざる限りは進行して然るベし。当局これに対して干渉がましき事をなすべきにあらず。もしそれ臣民衷心より遠慮の意あらば営業を勝手に停止するも随意たるは論を待たず。

然らずして当局の権を恐れ、野次馬の声高を恐れて、当然の営業を休むとせば表向きは如何にも皇室に対して礼厚く情深きに似たれどもその実は皇室を恨んで不平を内に蓄ふるに異ならず。恐るべき結果を生み出す原因を冥々の裡に醸すと一般也。(突飛なる騒ぎ方ならぬ以上は平然として臣民もこれを為すべし、当局も平然としてこれを捨置くべし)。

新聞紙を見れば彼ら異口同音に曰く都下闃寂火の消えたるが如しと。妄りに狼狽して無理に火を消して置きながら自然の勢で火の消えたるが如しと吹聴す。天子の徳を頌する所以にあらず。かへつてその徳を傷つくる仕業也。」(日記/夏目漱石)

自由主義的な官民関係を望んだ漱石の目には、当局による民業干渉は明治日本の後進性を示す出来事と映ったであろう。だが考えるべきは国会開設や租税問題などで勇敢に政府に抗してきた明治の民衆が、こと天子重患の報に接しては、当局の権を恐れ野次馬の声高を恐れるのではなく、事実として官命に従順であったことだ。

崩御後の自粛であれば儀礼に属することだが、崩御以前の自粛は即ち天子の病気平癒を願う信仰の表れである。これは立憲君主国日本の帝位が、実際には民衆の素朴な信仰に支えられていた事実を示す。だが英国を範とする漱石の脳裏に、この事実は一種焦躁の念を生じせしめ、それが為に漱石自身これを当局による民業干渉と翻訳することで自らに納得させようとしたのだろう。

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by hishikai | 2008-07-19 13:54 | 憲法・政治哲学


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