2008年 07月 24日
anowl様 土俗的信仰習慣と日米開戦のラインについて
anowl様 コメントありがとうございます。字数が多くなりましたので、またこちらに書きます。私は日本人の土俗的信仰習慣の本質は素朴な神道だと思います。この土俗的信仰習慣が、明治政府による天皇神聖化に合流して、予定説的な天皇信仰の復活と、これを核とする天皇共同体の現出をみたのだと考えています。

そしてこの信仰と共同体の力は伊藤博文が考えた国教の中心としての天皇観や、帰朝者らが考えた英国王室を範とする単に忠誠の対象としての天皇観を超えており、これが明治天皇崩御に伴う病気平癒祈願や乃木大将の殉死により眼前の事実となったとき、夏目漱石など明治の知識層は戸惑いを覚えたのではないかと想像しています。

つまりこの後、大正から昭和にかけて表面化してくる農本主義者、大陸浪人、維新革命者、新興宗教指導者等々の提唱する天皇観こそが近代日本天皇観の本流であったということで、これが拡大し普遍化した結果の大陸進出と日米開戦であったと、極々簡単に言えばそういうことではないかと考えている次第です。

またこれを政治的な方面から言えば、国民国家というものが大衆の「我ら国民」たる意識の具現化で、そしてこれが下層からの強力な天皇信仰に支えられ、なおかつ伝統的に宗教から戒律を廃して内面化してきた結果としての法の不在という思考様式により、当時の政治はいわば神輿担ぎの状態にあったと思います。

これは電信柱にぶつかりそうになり、店先に飛び込みそうになる神輿のふらつきは、誰かが殊更にそう担いでいるのではなく、殆ど不可抗力的に現われる不安定であるということで、このモデルは日米開戦をどこかの時点で政治的指導力により回避できたとする見解よりも、当時の現実をよく説明していると私は思います。

ましてやアジアに於ける唯一の近代国家である日本が拡大し、近代の分家たる地位に満足しないのであれば、やがては本家の西欧列強と対決せねばならず、この主体たる国家の政治が神輿担ぎの状態であったのならば、結果として大衆の信仰が直接に西欧列強との対決に注入されざるを得ないと思います。

つまり漱石が抱くような天皇観は、より強力な土俗的信仰習慣に合流した天皇信仰よって淘汰されざるを得ず、この指し示す先に日米開戦があるということが、先般申し上げました明治知識人の天皇観と日本人の土俗的信仰習慣の先にある日米開戦のラインです。卑見を冗長に述べました。更にご意見をいただければ幸甚です。

by hishikai | 2008-07-24 13:14 | 憲法・政治哲学


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