2008年 08月 06日
かの著明な独立宣言を採択した大陸会議も漸くその政治機能の不備が露呈し始めた1787年、独立戦争終結から四年の歳月を経て、最初の米国憲法制定会議が初夏のフィラデルフィアで開かれた。ここまでの歳月は人々の関心を英国に対する熱烈な権利の主張から、より現実的な連邦制度の構築へと向かわせていた。 この会議に招聘された十二州七十四名の代表者は、その政治思想を英国的教養で形成された人々である。ロンドンのインナー・テンプルで学んだ者、エディンバラで学んだ者もある。三十一名を占める法律家らは法知識の基礎を独立以前からブラックストーンの『英法釈義』などの英法学によって培われている。 軍部がG・ワシントンの英国的君主としての即位を望み、大統領に「殿下」とか「陛下」という尊号を附すべきだというJ・アダムスの主張がそれらの最も先鋭な現われであるとしても、少なくとも彼らが「貴族なき貴族政治」「君主なき君主政体」を構想していたことは現在も指摘されるところである。 当時の米国人は経験主義者である。彼らがいまだ世界のどの国でも施行されたことのない民主主義なるものを信用することはない。建国の父の一人、A・ハミルトンは次のように言う。「歴史の教えるところでは、人民の友といった仮面の方が、強力な政府権力よりも、専制主義を導入するのにより確実な道であった」 そこでは国民主権も「全ての権力は国民に由来する」という所で立ち止まる。彼らの脳裏には現実として国民が主権を行使するわけではないこと、国民が多様な人間の集団であることが意識されている。だからこそ一纏めに主権者の意思と言い換えられた多数者の意思が、国政に強い影響力を持つことの危険が察知される。 彼らが延べ百十二日を費やして採択した米国憲法と、その制度には、国民主権に言及しない前文、大統領と上院議員の間接選挙、二院制、司法審査制、簡単な憲法改正手続、権力分立といった民意の直接的な反映に対する防塁が幾つも築かれる。 これら一連の事柄の背景にはE・バークの「民衆の専制は倍加された専制である」という、冷徹な人間観察を基礎とした英国伝統の保守思想があった。そして憲法制定会議から半年後、米国民への解説書として刊行された『ザ・フェデラリスト』に次のような一文が記された。 「そもそも統治とは一体何なのであろう。それこそ、人間性に対する省察の最たるものでなくして何であろう。万が一、人間が天使であるのなら、もとより統治など必要としないであろう」
by hishikai
| 2008-08-06 16:41
| 憲法・政治哲学
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