2008年 09月 05日
anowl様
まず最初に拙稿の視点にご理解いただき、御礼申し上げます。ありがとうございます。仰るように、近現代の状況からいえば「国家・市民社会・家族」といった三つの視点を提示して、その中から日本の政治論を立ち上げなければならないのですが、残念ながら私にその力がなく、古代ギリシャをモデルに使用しました。

そしてこれも仰るように、福田康夫氏に限らず現在の政治家は、せいぜい「市民社会」の話にしか興味がないようです。これは「公共・家政」の家政から分裂して成立した、市民社会と家族が日本人の空間の全てを占めてしまった結果、真の公共としての国家(「普遍・特殊・個別」でいえば普遍でしょうか)が、現実として消滅しているためではないかと思います。

このことは野に在って掲示板や、ブログで日々奮闘している方々の言説にも、政府が国民生活を保障すべき事、さらなる福祉の充実を計るべき事などが自明として語られ、真に公共の事柄に特化した政府のあり方に言及されることの少なさに鑑みても、伺い知れるように思います。

これを法の立場から見るとき「法は一般的・普遍的な形式を持つべき」という主張に対して「それは形式的すぎ、弱者強者の不平等を考慮していない」と論じられた結果、これが社会的正義論として大衆社会で力を持ち、投票を通じて民主過程に流れ、法の一般性・普遍性が失われ、特定の個人や団体を対象とした法律の制定が至極当然の事になってしまったのではないかと思います。

しかしこのような法律は、英米では「個別法」欧州では「措置的法律」と呼ばれ、一般法からは区別されており、政府が国民生活に対し微細に干渉する現在の我国の統治方法が、決してあたりまえではないということ、それにもまして、このような統治方法は財政的逼迫、自治精神の毀損、公共意識の喪失といった大きなマイナス面を持つことは、さらに国民の間で認識されていくべきではないかと思います。

このような状況を転換する可能性があるのは、anowl様がスイス論で触れておられた道州制の実現ではないでしょうか。これにより地方政府に「家政」を委譲することで、真に「公共」の事柄に特化した中央政府が誕生し、引いては国民意識にも何らかの変化がもたらされることと思います。これは貴稿にあります議会の定数削減の箇所と同じ意味で、私はこれに全面的に賛成致します。

またリンクされてありましたanowl様の過去の論考を拝読させて頂き、いま一つ共鳴致しますのは、自民党が良いのか、民主党が良いのかといった以前の事として、日本の政党が政策理念の実現を目的とした集団となるべき、そして利益選挙談合政治屋集団という体質から脱すべきという主張です。これにつきましても、個々人にある思想信条の違いを越え、根本のこととして全面的に賛成致します。

最後に福田内閣メールマガジンにつきましては、私も定期購読していますので少々驚いた次第です。特に「常に新しい伊勢神宮」とは式年造営を指していると思われ、いっその事「太陽と海と伊勢神宮」から法相唯識説の輪廻転生を説いて「私はまた帰ってきます」と結べば、あるいはこの潮騒から豊穣の海への展開に対し私は感涙に咽ぶことが出来たかも知れず、ここは惜しまれるところです。

冗長に駄文を連ね、失礼致しました。あまり推敲もせずに書きましたので、至らない点も多いと思いますが、ご容赦下さい。いつもanowl様の論考には啓発されて、眠い眼を擦りながらキーボードを叩く活力とさせて頂いております。あるいは意見の相違もあるかと存じますが、今後ともご鞭撻のほど何卒宜しくお願い致します。

by hishikai | 2008-09-05 12:00 | 憲法・政治哲学


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