2008年 09月 22日
地方創権
e0130549_12522079.jpg地方分権は福沢諭吉の『分権論』以来様々に論じられて来たが、その歩みは遅々として進まず、近年では却って年金制度や福祉サービスの拡充を求める声の強まりと共に、中央行政の肥大化と集権化は益々進んでいるのではないかと考えざるを得ないことさえある。

こういったことは結局のところ日本人の自治意識の欠如から来ていることで、これには啓蒙運動を以てするより他に仕方のないことだが、一方でこれを制度面から見れば生活インフラから交通インフラに至る大型社会資本の運営管理と、そのための財政基盤の確保が都道府県単位では現実として不可能だという問題がある。

従って地方分権とは即ち道州制の実現であって中間はない。しかし道州制を実現するということは、財源と権限の委譲を頑なに拒む中央官僚の発想を遥かに飛び越して、立法権の委譲ということまでもが実現されなければならず、これには国家の弱体化を危惧する立場からの反対論もある。

これがイデオロギー的な方面から根本的に反対といったことであれば議論は別の観点に移るが、そうではなく地方分権即ち道州制ということから、権力の細分化による国家の弱体化を連想するのであれば、その原因はひとえに「分権」という言葉にある。

これは俗に三権分立といわれる権力分立構造を、統治権力の分割とそれら互いの非干渉によって公正な機構運営を期待するかのように理解することと同じ誤りで、本旨としての権力分立構造が強力な機構権力の互いの干渉によって均衡と抑制を期待することであることを想えば、地方分権の考え方も自ずと明かである。

つまり地方分権とは中央政府の10の権力を5:5に分割することではなく、中央政府の10の権力に対して地方政府の10の権力を創出するいわば「地方創権」に他ならない。またこれに伴う混乱には悲観的な側面ばかりではなく、司法による新たな見解の発見や、両者の折衝を通じた慣習の定着も期待される。

実践の次元で権限の分担が行われるとはいえ、重要なことは地方政府の新しい権力が、中央政府によって委譲された権力を基礎としてはならず、分担された権限は重複した領域を有して均衡しなければならないということで、そうではない字義に則した地方分権は、反対論の指摘通り国家を弱体化させるということである。

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by hishikai | 2008-09-22 13:05 | 憲法・政治哲学


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