2008年 10月 06日
理想という名の苦しみ
e0130549_1242742.jpg昨今ではジャーナリズムの専売であると思われていた政権与党への憎悪が、意外にも保守的であると思われていたネット言論の中に多く見られる。このような言論の拡がりは小泉路線への反感を背景としているが、しかし一方でこれが野党である民主党の支持拡大に正比例しているのかと言えばそうでもない。

したがって考えられるのは、このような言論の拡がりが表明しているのは一定の政治路線への支持ではなく、もっと根本的に政党政治そのものへの苛立ちであるということだが、そうであるとすれば中山前国交相の発言を受けて民主党議員が示した、現在は昭和初頭の政治状況に似ているという認識は偶然にも正しい。

政党への苛立ちとは、即ち政党という制度が人々の多様な選好を集約して統治に反映させる点で民主主義的である一方で、公的な政治活動を少数者の特権とする点で、つまり国民の政治参加を民主主義の鉄則と理解する人々にとっては、それが寡頭制的であることへの苛立ちである。

であるならば人々は代表者に権力を委託する政党制に代えて、自らが各々に権力となるべく政治体を組織するいわば評議会制を支持するべきである。これは1789年のフランス革命から1956年のハンガリー革命に至る歴史の上で度々実現されてきたことで、戦前我国の農本主義者もこれに類した制度を提唱している。

政治への苛立ちとは、即ち統治の目的が国民福祉の充実であるという、戦前への償いに根差しながらも戦前と同じく統治目的の単一化を支持する感情が、統治目的を国家生存に見い出す戦前的な感情と、統治目的を諸個人間の権利調整に見い出す英米的感情の混在に対して清々しい勝利を獲得できないことへの憤りである。

統治の目的が国民福祉の充実だけであるならば、統治は管理であって専門知識を有した行政官僚団の専任事項となる。そのような国家に於ける政治の役割とはせいぜい官僚団の監視で、既に我国ではそうであるが、それは本質的に非政治的である。このような管理国家を無批判に受入れ、統治の中にある様々な側面を承認しない態度は政治と馴染むことがない。

いずれにせよこういった事は、革命に続く後の世代が革命精神を理想化するように、日本人の脳裏で戦後六十余年を経て民主主義が理想化された結果、どのような形態と時代であれ統治とは少数者が多数者を支配するのだという民主主義にとっては耐え難い常識を、耐え難いが故に日本人が忘却してしまった為に起こる苦しみである。

(画:K・コールウィッツにより1899年に制作されたエッチング)

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by hishikai | 2008-10-06 12:17 | 憲法・政治哲学


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