2008年 11月 06日
平板な理解
e0130549_13244877.jpg国家にはタブーがある。そのことは近代国家が古代からの共同体を乗越えたところに成立し、立憲主義や民主主義といった普遍的な概念を基礎とした統治体であるにもかかわらず、事実としてはそれを構成する人間の意識が個別的な歴史の影響下で形成され、これを修正するに極めて困難であることを物語っている。

我国でのタブーは戦前的価値の復権だと思われがちだが、それならばドイツのように特定思想の復権にだけ注意を払っていれば済むことである。だがそうではなく、平和という単語にさえ人類普遍の理想というニュアンスを込める我国の言論状況が示しているのは、そのタブーが武力の一般化だということである。

このことはドイツにおけるニュルンベルク裁判が主として国家社会主義ドイツ労働者党員によるホロコーストの犯罪性を印象付けたのに対し、我国における極東軍事裁判が日本の国家行為全般を犯罪として扱ったために、そこに含まれた武力行使までもが犯罪行為であったかのような認識が日本国民の間に生じたことによる。

一方で憲法が共通して持っている構造として、権力分立制度や議会制度など時間的変遷の影響を受けにくい事柄を規律対象とするのに対し、経済体制の選択、外交、軍事といった時間的変遷の影響を受けやすい事柄を基本的に開放しておくというものがあり、これが国民生活と安全保障に対する現実的な措置となっている。これは統治と軍隊の関係の外堀である。

しかしまた非公選部門でありながら情報と権限を蓄積する行政を、民主的に制御することが議院内閣制の歴史的課題であったがために、軍事部門に対しても正規軍の予算や編成等に関する議会の審議承認権を明文化して規定することで、これを制御するシヴィリアンコントロールと呼ばれる法制度が適用される。これが統治と軍隊の関係の内堀である。

だが、いかに行政を民主的に制御するための法制度とはいえ、軍隊が他の官僚団以上に専門知識と装置を抱える機能集団で、また国家の正規軍が武力を互いに行使しあう戦争状態は、一般的な行政活動を超えているのが現実である。したがって議会が軍隊を行政と見なして制御することは常に原理的な不整合を含んでいる。これが統治と軍隊の関係の本丸である。

しかし極東軍事裁判の影響により武力の一般化をタブー視する日本国民は、自衛官と行政官僚とを単に同質と見なすことが平和維持に寄与すると素朴にも信じて疑わない。この歴史的なトラウマによる平板な理解を利用し、今回の田母神空幕長の件を平和国家への造反としてシヴィリアンコントロールの侵害を言い募る人々がある。

彼らはその頭脳の中に統治と軍隊の微妙で多重層的な関係に対して平板な理解しか持ち合わせていないか、あるいは日本国民の理解を平板なままに留め置こうとする意図のあることを露呈している。このことは浜田靖一防衛相を始めとする政府関係者もまた同類で、彼らこそまさに日本の安全保障を危殆に瀕せしめている張本人達である。

ブログランキング・にほんブログ村へ

by hishikai | 2008-11-06 03:18 | 憲法・政治哲学


<< 古代のごちそう      伝統とグローバリゼーション >>