2008年 11月 13日
歴史の諸相
e0130549_1211015.jpg過去は存在しない。私達にあるのは常に現在で、過去は現在を証拠として理解された結果である。食べ残しの皿に食事をした人間を想像し、開け放たれたままの扉に起きた事態を推測する。この理解の連続が歴史を構成し、その諸相は私達の過去への態度で決定される。それは同時にこの世界に対する私達の態度の表明でもある。

私達に提示された歴史の最も古い形は神話である。そこには時代と場所とを特定されないイメージがある。それらはときに英雄であり姫君である。正義は剣となり邪悪はドラゴンとなる。善き必然は神々となり悪しき必然は悪魔である。それらが絵画となり詩となるのは、観察よりは印象への重視が芸術と共通するからである。

やがて私達が科学を知ると、歴史も科学の手法で理解される。原因と結果は一般的で必然的な関係を指示するために、これから生起すべき事象の前兆であると考えられる。仮説が立てられ、これを証明するための推測が繰返される。それらが指示書となり演説となるのは、観察よりは説得への重視が政治と共通するからである。

そして歴史にはもう一つの形がある。それは神話としての歴史と同じように古く、科学としての歴史よりも人々を説得する。それが訓話としての歴史である。その関心は私達の生きている現在との関係において過去を組織化し理解することである。そこでは何が望ましく何が望ましくないかに関する信念が常に述べられる。

だがこれは歴史を後ろから読んでいる。これを主張する人間に都合の良い過去を、現在から遡って見つけ出してくる。訓話によって構築された世界は、過去からのメッセージを受取ることだけを望んでいる。それはあらかじめ言うように仕込まれた教訓を、過去の権威をもって、そして過去に憑依して繰返す降霊術である。

もし私達がそれら以外の歴史の形を探ろうとするならば、私達は現在を証拠として過去を理解しながらも、同時に過去を現在から解放しなければならない。そのとき歴史の語法から「悲惨な戦争」や「非業の死」という価値評価の言葉は姿を消す。歴史の人物はそれまで生きなかった誰かで、これからも生きない誰かとなる。

ブログランキング・にほんブログ村へ

by hishikai | 2008-11-13 12:41 | 憲法・政治哲学


<< 『フランスの妖精』(アルフォン...      袋小路の設問 >>