2008年 11月 24日
アルフォンス・ドーデの作品
e0130549_2338540.jpgアルフォンス・ドーデは1840年、フランスのニームに生まれる。十六才の時に父の経営する絹織物工場が倒産し大学進学を断念、十八才でパリへ出て文学者を志す。そして1868年に自伝的小説『ちびくん』を、翌年にプロバンス地方の暮しを描いた『風車小屋だより』を発表し作家として認められる。

1870年、普仏戦争が勃発するとドーデもこれに応集する。だが六ヵ月後、戦争はフランスの惨敗に終わり、ナポレオン三世の見かけ倒しの帝国は崩壊する。パリには飢餓が迫りフランスは無政府状態寸前に立ち至る。そして1871年3月26日、パリ民衆がパリを占拠、これを六十二日間守りとおすパリ・コミューンが起こる。

ドーデはこの普仏戦争とパリ・コミューンの体験をもとに一冊の短編集をまとめあげ、1873年に『月曜物語』として発表する。その中の一編『最後の授業』は我国でも1927年から1985年まで教科書に採用され、多くの人々に感銘を与えている。林達夫の終戦の記録にも以下の記述が見られる。

「あの八月十五日の晩、私はドーデの『月曜物語』のなかにある『最後の授業』を読んでそこでまたこんどは嗚咽したことを想い起こす。(中略)日本のアメリカ化は必至のものに思われた。新しき日本とはアメリカ化される日本のことであろう」(新しき幕明き/林達夫)

私達もかつてはアメル先生やフランツ少年だった。それだけにこの物語は、占領という行為を受けた無念が深い同情に転じて登場人物達へ投影されて心に響く。だが私達が彼らを見上げざるを得ないとすれば、それは占領者に対して彼らが自国の文化を守り通そうとしたのに較べて、私達が必ずしもそうではなかったためだ。

またドーデには『フランスの妖精』という作品がある。妖精という聖物を葬った国と民への怨念が、あたかも二二六事件蹶起将校らの魂の独白のように語られている。聖なるものを失った国に聖なる戦いなど出来ようはずもない。そのようなものは全て燃やしてしまえという老婆の言葉は、そのまま私達の堕落を告発している。

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by hishikai | 2008-11-24 00:11 | 文学


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