2008年 11月 30日
保守的な人
e0130549_74092.jpg私の周辺には人生に保守的な人が多いように思う。人並みに働いているのだから分割でパソコンでも買ってインターネットの少しも見ればいいのにと思うのだが、仕事帰りに馴染みの酒場に立ち寄って気の合う仲間と下らない話をして、やがて千鳥足で家路に着くのが彼らのお気に入りの人生であるらしい。

彼らは海図のない航海に出かけようとは思わないし、もし仕方なく未知の海を行くことを余儀なくされた場合にも、彼らは1メートル進むごとに水深を計ることを無駄だとは思わない。それは他人から見れば臆病であるに過ぎないが、彼らにしてみれば理に適った思慮深さということになる。

もっとも保守的な人の、馴染んだもの、慣れたもの、愛着のあるものに人生の楽しみを見い出そうとする態度を臆病であると言うことは、人が目的に対するとき如何に変化を望もうとも、それを実行する手段に対しては保守的にならざるを得ず、従って生活の広い領域を保守的気質が支えていることを忘れている。

例えば人と道具の関係がある。道具は人の生活に不可欠であるために歴史と共に進歩して、最近では年々歳々から時々刻々へと歩みを早めているが、それでも四六時中新しい道具に買い換えて取扱説明書と睨めっこするよりも、少しばかり型遅れだが慣れた道具を使う方が目的を果たしやすい。

そのため職人は使い慣れた道具を大切にし、弁護士も自分で注釈を書込んだ法律書を書棚に揃えておく方が安心に違いない。そして客は彼らに熟練を期待して仕事を依頼し、彼らは熟練をもって客の依頼に応える。だから仕事が出来ることは道具の扱いに熟練していることだと言っても過言ではない。

これは政治にもあてはまる。政治に期待されるのは安定した統治で目覚しい進歩ではない。政治とは誰かの見た夢を多くの人に押付けることではなく、多くの人の見ている夢が共存できるよう規則を維持することだ。だから政治家は政治の活動に熟練していなければならない。その点で政治は宗教や哲学よりも職人仕事に近い。

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by hishikai | 2008-11-30 07:09 | 憲法・政治哲学


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