2009年 01月 04日
人間宣言
e0130549_13203627.jpg朕ト爾等國民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニ非ズ。(年頭、國運振興の詔書/昭和二十一年一月一日)

今日の風潮からいえば、天皇が人間であるか否かを問うことは狂気に等しいのかも知れない。しかしこの詔書、いわゆる「人間宣言」が渙発された当時は、少なからぬ驚きが日本人の心にあったようだ。中野重治は「あらゆる偽ものも、天皇ほどのづうづうしさをみせたものは一人もいない」と『アカハタ』に書いた。

また橋川文三は「この宣言が引きおこしたある名状しがたい衝撃の記憶は、私自身の内部に今もなお明らかに残っているばかりか、それにともなって生じた日本人の生命そのものの意味の転生についても、私はいくつかの忘れえない事例を知っている」と『中間者の眼』に書いた。

「現御神」はCIE(総指令部民間情報局)による原文では「divine」、これを邦訳した詔書原案では「神の裔」とある。これが「現御神」と訂された経緯には木下道雄侍従次長の介入があり、それは天皇が「生き神」であることを否定しながら、同時に紀記神話との連続性を確保しようとしたかのようだ。

ともかくも日本人に示されたのが『年頭、國運振興の詔書』であったことに変わりはない。そして、これを一個の数式として戦前と戦後の間に置いてみるならば、右辺と左辺の関係に明らかな矛盾がある。これまではここを、当時の新聞は概ね歓迎の論調であったとか、象徴天皇制こそ本来の姿だなどと言って切り抜けてきた。

だがそうしたことは、玉砕という「高貴な事柄」が敵に理解されない事を天下の不思議と考えた戦中の発想と表裏ではないのか。それは時節に迎合するあまりに、自己の感情を通して見た現実を普遍的な事実と見てしまうことに他ならないのではないか。

多くの人々の尊い血で書き綴られた日本近代史を俯瞰してみるならば、三島由紀夫が『英霊の聲』に書いたように「人間宣言」は、それら死者達への裏切りだという見方が、最も率直に事実を言い当てているのではないか。

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by hishikai | 2009-01-04 13:44 | 大東亜戦争


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