2009年 01月 14日
過去との再会
e0130549_1412356.jpg富迫君は父親がなく、母親と二人暮しだった。ゆとりのない暮らしとみえて、身なりもみすぼらしかった。父は富迫君を可愛がった。身勝手な人間で、自分の仕事関係の客は無理をしてでももてなすが、子供の友達などうるさがった人だが、富迫君だけは別だった。

父は、父親を知らない自分を、親戚から村八分にあいながら、母親の賃仕事で大きくなった惨めな自分の少年時代を彼の上に重ねて見ていたのだろう。汗ばむ季節だったから、初夏だったのか夏の終わりだったのか。日曜日の一日を父は私と弟を連れて吹上浜というところで遊んだ。富迫君も一緒だった。(中略)

それからしばらくして、弟は学校から帰るとランドセルを母に渡しながら、「富迫君のお母さんが死んだよ」といった。その夜、父にいわれて、私と弟は祖母に連れられてお悔やみにいった。富迫君のうちは、ゴミゴミした路地の更に奥にあり、ぬかった道に板が渡してあった。(ねずみ花火/向田邦子)

私の知人に、少年のとき両親と死に別れ、兄弟もなく、親戚の家を転々としながら、やがて就職し一人暮らしをしていた人があり、彼が結婚する当日、花嫁の家では赤飯を炊き、着付けをなおし、家人が忙しく立ち働いていた最中、花嫁がふと、彼は今頃一人で仕度をしているのかしらと呟いたとき、花嫁の父は泣いたという。

花嫁の父は、母一人の境涯から苦学して世に出た人で、以前にご本人の育った場所を、私と共に、久しぶりに訪れたとき、その夏草の生茂る空地に立って、かつて両脇の長屋の真ん中に井戸があり、そこで母は市場で買った安価な貝ひもを洗い、甘辛く煮て、よく私共に食べさせて呉れましたと、蝉時雨の中で話されていた。

ドラマ『父の詫び状』では、父が祭壇の横にポツンと座る富迫君に「偉い人になるんだぞ」と搾り出すように声をかける。偉い人。近頃は絶えて久しい。幼い色彩の全てを諦めて過去から抜け出してきた人の、思わず過去と再会した時に見せる深い陰影は、それまでの色彩の全てを宿して、人生を斜めに区切っている。

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by hishikai | 2009-01-14 14:04 | 日常


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