2009年 02月 10日
蕎麦飲考
e0130549_23593567.jpg迷亭先生もう善かろうと思って下を見ると、まだ十二三本の尾が蒸籠の底を離れないで簀垂れの上に纏綿している。(中略)「この長い奴へツユを三分一つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込むところがねうちだよ」と思い切って箸を高く上げると蕎麦はようやくの事で地を離れた。(吾輩は猫である/夏目漱石)

蕎麦の正しい食い方といったことは知らない。ものの本で調べたこともなければ、誰かに教わったこともない。だがどうせ蕎麦を食うのであれば恰好佳く食って、願わくば人には通人と思われたいという虚栄心と、あの漱石先生の書くことならば間違いあるまいという権威主義的な魂胆から、私も蕎麦を飲んでいる。

とはいえ一体に蕎麦を飲むのは苦しいもので、近所の酒屋の姐さんは「私の祖母など吐きながら蕎麦を飲んでいました」と御奇特な話をしていたが、ご多分にもれず私も四十半を過ぎて唾液が減ってきたのか、食道につかえることも度々で、そのときは箸を休めて客の顔を眺める振りなどしながら、盛んに背筋を伸ばしている。

蕎麦の前に呑む酒を「蕎麦前」と云うそうだが、つかえぬ先の用心に、あらかじめ冷えた升酒などを呑んでおくのも一つの心得であると思う。肴は無くても結構で、あれば焼海苔、蕎麦味噌、板わさ、山葵芋など、一寸渋いやつを一つ誂えて頂くことができれば、それも結構この上なし。

それでも人生何が起こるか判らず、やはり蕎麦がつかえることはあり得ることで、そういう時の用心に、冷えた升酒などを「蕎麦中」として脇に置くのも一つの心得であろうと思う。噺家の何某は蕎麦が出ると、その上に酒をわずかに落として箸を付けたというが、あれなども恰好が佳いかも知れない。

そうこうして無事に蕎麦を食い終ったからといって、やれ安心といきなり往還へ飛出しては、何しろ噛んでないのだから消化によくないことは知れ切ったことで、そういう時の用心に、冷えた升酒などを「蕎麦後」として目の前に置くのもまた一つの心得であるように思う。これなどは差詰め「ディジェスチフ」であろう。

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by hishikai | 2009-02-10 00:02 | 日常


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