2009年 02月 28日
『逝きし世の面影』は名著だと思う。そこには江戸期から明治にかけ日本に赴任していた外国人の観察による私達の先祖のありのままの姿が描き出されていて、新鮮な驚きに満ちている。また著者の渡辺京二氏が、これらの記録を礼節、労働、身分、宗教、自然等に分類して丁寧に編んでいるので大変に読みやすい。 とはいえこの本をどう読むかということは、この本が記録で編まれているだけに問題で、それによって読者の心に抱かれる近代以前の日本人像が大きく異なってくる。これについてかなり多くの人が、私達の先祖は愛情細やかで高い道徳意識を持っていた、それがこの本で判った、という感想を抱いたのではないかと思う。 しかし私はこの本が日本人の道徳的な高さを強調する方向からだけで解釈されることには疑問がある。というのは今日の私達は「道徳」という言葉に、損得感情から離れた利他的で高邁な規範意識をイメージしているために、そのような道徳イメージを当時の人にも無意識にあてはめてしまう可能性があると思うからである。 例えばこの本には、遊廓と客の間のもめ事が暴力沙汰寸前に至りながらも、結局は当事者同士の話合いで解決されたことであるとか、船頭たちの紛争が橋の上の綱引きで解決されたことが記述されていて、同時にそのような紛争に対して、奉行所や代官所が必要最小限度の介入しか行っていないことも記述されている。 これらの事例は当時の社会秩序や道徳の維持に、人々の私的自治が果たした役割の極めて大きかったことを物語っている。そしてこのことは、当時の道徳が今日私達のそれとは異なり、商売や取引きを通じて徐々に形成されてきた、互いの利害関係を起源とする「しきたり」としての道徳であることを強く推測させる。 仮にそうであるならば今日の社会正義の実現を、かつての日本人の道徳の高さを引合いに出しながら政府に迫る私達の態度は、その根本にある先祖への理解で誤っている。「商業と製造業は秩序と善政をもたらす」というA・スミスの主張を肌で理解していたのは私達ではなく、むしろ江戸期の日本人だったのではないだろうか。
by hishikai
| 2009-02-28 19:07
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