2009年 03月 18日
模倣者
e0130549_18113093.jpg「馬鹿っ」その瞬間、私は突然恐ろしい父の怒号を耳にした。が、はっとした時には、私はすでに父の一撃を割れるように頭にくらって、湿った地面の上にぶっ倒れていた。その私を、父は下駄ばきのまま踏む、蹴る、頭といわず足といわず、手に持ったステッキを滅茶苦茶に振り回して、私の全身へ打ちおろす。兄は驚愕のあまり、どうしたらよいのか解らないといったように、ただわくわくしながら、夢中になってこの有様を眺めていた。(父・夏目漱石/夏目伸六)

夏目漱石の次男、伸六は小学校入学以前のこと、神社の境内にあった見世物小屋の前で、兄の真似をしてぐずって見せたところ、怒り出した父から激しく打擲された。その時伸六は、なぜ自分がこんな目に合わねばならないのか、その理由が全く解らなかったが、後年、父のある講演記録が目にとまった。

私の所の小さい子供なども非常に人の真似をする。一歳違いの男の兄弟があるが、兄貴が何か呉れろといえば弟も何か呉れろという。兄が要らないといえば弟も要らないという。兄が小便がしたいといえば弟も小便をしたいという。それは実にひどいものです。総て兄のいう通りをする。丁度その後から一歩一歩ついて歩いているようである。恐るべく驚くべく彼は模倣者である。(模倣と独立/夏目漱石)

そこから伸六は、漱石が生来の激しくオリジナルな性癖から、世間一般に幅を利かせる模倣者達、平然と自己を偽り、他人を偽る偽善者達に対して、絶えず心の底に抱いていた軽蔑と憎悪、その乾き切った真実性に対する執着に裏打ちされた強い憤懣が、あの時、我が子に向かって爆発したのだということを理解したという。

だがそれは日本国家と日本人全体に向けられた憤懣だった。日本の近代化というものが常に後追いと模倣の連続であること、しかしながら時間的制約によって、これが如何ともし難いこと、その事態に人々が無自覚であること、そういった事々に対する行き場のない感情が、あの悠然とした風貌と洒脱な作品群の向うに鬱々として潜んでいた。そのことは、今日の私達にとっても決して昨日の問題ではない。

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by hishikai | 2009-03-18 18:17 | 憲法・政治哲学


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