2009年 03月 22日
「滅びるね」
e0130549_010539.jpg夏目漱石は何を考えていたのか。そのことで世間に誤解があると思う。『三四郎』で広田先生が日本は「滅びるね」と云う場面は夙に有名だが、例えばこれを政治評論家の森田実は「西欧のまねをして一等国になったつもりで浮かれていると、この国は滅びるね」と紹介していて、一般にもそう理解されている。

しかし「西欧のまねをして一等国になったつもりで浮かれている」という筋から「滅びるね」を引出すのは案外に難しい。この左辺と右辺の媒介者として戦後の言論は日露戦勝で驕り昂った陸軍を持出して来るのだが、これは後ろから読んだ歴史で、少なくとも漱石の視点ではない。漱石は講演で次のように話す。

我々のやっている事は内発的でない、外発的である。これを一言にして云えば現代日本の開化は皮相上滑(うわすべ)りの開化であると云う事に帰着するのである。(中略)しかしそれが悪いからお止しなさいと云うのではない。事実やむをえない、涙を呑んで上滑りに滑って行かなければならないと云うのです。(現代日本の開化/夏目漱石)

漱石は日本の近代化の進展が外発的であること、その内実が模倣であることを憂う。しかし「それが悪いからお止しなさいと云うのではない」と云う。また「事実やむをえない」とも云う。だから漱石の警告はここに鉾先を向けたものではない。問題は人々がこの事態を認識する、その仕方その欺瞞にある。

漱石は人間が心を隠さずに現わすとき罪悪は清められると考える。そこから日本人が、日本の西欧化を、あたかも自身の内なる欲求の自然の成果であるかの如く認識するのは欺瞞で、そのような欺瞞はいずれ自覚される。そうなれば日本人は「事実やむをえない」現在の状態を脱しようとするだろう。その結果が「滅びるね」なのだ。そのことは『夢十夜』の第七夜に、こうある。

こんな〈西へ向かう〉船にいるよりいっそ身を投げて死んでしまおうかと思った。(中略)あたりに人のいない時分、思い切って海の中へ飛び込んだ。ところが──自分の足が甲板を離れて、船と縁が切れたその刹那に、急に命が惜しくなった。心の底からよせばよかったと思った。けれども、もう遅い。(夢十夜/夏目漱石)

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by hishikai | 2009-03-22 00:31 | 憲法・政治哲学


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