2009年 03月 25日
明治五年(1872)のある日、開校して間もない第一大学区第一番中学の校庭に一人のアメリカ人教師が立った。手にはバットとボールを握っている。彼は生徒達に一声合図を掛けたかと思うと、ボールを空中に放り投げ、バットで打った。彼の名はホーレス・ウィルソン。我国にベースボールを伝えた最初の一人となった。 やがて第一番中学は東京開成学校から東京帝国大学へと名称を改めたが、ベースボールはその予備門である第一高等学校、いわゆる一高へと受継がれた。寮の前庭は朝夕のノック場、土手下はキャッチボール場、グラウンドは昼食後のノック場と試合場になった。終日、一高に球音の絶えることはなかった。 明治二十三年(1890)五月二日。一高と明治学院の試合中に、一高の応援団が明治学院の教師W・インブリーに暴力を加える不祥事「インブリー事件」が発生した。一高はこれを重く受止めた。彼らは自らの実力不足が原因であると考えたのだ。そして名誉挽回のため、悲壮なまでに激しくストイックな練習を積んだ。 明治二十七年(1894)その名称も「一高ベースボール会」から「野球部」と改め、すでに国内に敵なしの状態だった一高野球部は、明治二十九年(1896)五月二十三日、遂に横浜外人アマチュアクラブの美しい芝生のグラウンドに立った。初回に先制を許し、隠し球の洗礼も受けたが、敢然と攻めてこれを29対4で破った。 この試合を報道した『The Gazette』は書いた。「学生軍は我がアメリカ人居住者に、アメリカの国技であるこのゲームは、このようにやるのだということを示してくれた」と。やがて時代は移り、早慶戦華やかなりし時に早稲田大学監督を努めた飛田穂洲は、当時の一高野球を想い起こして、次のように述べた。 「一高の野球は全く精神を基調としたものであり、心の洗練を主にして行われた野球であった。(中略)この武士道こそ、旧一高野球の核心をなした。彼らの野球は人間道をまっしぐらに進んだ。実にわきめもふらなかった。その真摯が全校生徒の魂を引きつけ、日本の全学生を風靡した」(球道半世紀/飛田穂洲)
by hishikai
| 2009-03-25 19:31
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