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2008年 05月 01日
自助の修正
e0130549_23392956.jpg社会保険制度の基本的な財源調達方法には「三者拠出方式」と呼ばれる三つのルートがある。(1)賃金所得を原泉とした被保険者の負担する拠出金。(2)租税を原泉とする国庫による負担。(3)利潤を原泉とした雇主が負担する拠出金。

ここでの各財源の性格を比較した場合(1)は「自助の原理」に基づく自己負担(2)は「生存権」に基づく公的扶養である。一方(3)雇主も拠出金を負担しなければならない理由とは何であろうか。これにつき元中央大学教授・工藤恒夫氏が次のように説明している。

資本主義社会の下での労働者は、生きることを断念しない限り、自分が所有する労働力を、雇主に商品として売り続け、その労働過程で消耗した労働力を日々の生活過程で、回復させ維持していかなければならない。これを労働力の再生産という。そしてこの労働者本人と家族の生涯にわたる労働力の再生産費が賃金の本質である。しかし賃金にはこれが含まれておらず、雇主はこれを利潤として取得している。したがって雇主は社会保険に一定の金銭を拠出をしなければならない。これは資本主義の「自助の原理」とは正反対の「社会的扶養の原理」である。(資本制社会保障の一般理論/工藤恒夫)

社会保険制度が19世紀からの社会主義思想と労働運動の結果であるという歴史的経緯を考えれば、ここにある思想傾向も頷けるところだ。このような雇主負担に対する根拠付けにこそ、社会保険という制度の持つ思想が最もよく透け出している。

そしてこの思想の制度化を後押ししたのが第一次世界大戦とその後の世界大恐慌という二重の荒廃からの教訓である。現在の社会保険制度の原型であるイギリスのベヴァリッジ・プラン(1942年)とフランスのラロック・プラン(1944年)が第二次世界大戦の最中に、既に戦後世界を見据える形で制定されているのは、先の二重の荒廃からの教訓を反映しているためである。

しかしグローバリゼーションと経済の相互依存は19世紀に既に急速に展開していた、今日まで続くその長期的な潮流を妨げたのが、20世紀前半に起こった二つの世界大戦と世界大恐慌だったと考える方が事実に近い。

産業革命に伴う19世紀の自由主義経済の繁栄と、21世紀のグローバルな経済体制を直線で結んだとき、20世紀前半の二つの世界大戦と世界大恐慌により疲弊した期間は、むしろ「例外的な期間」であったということだ。そのような「例外的な期間」に対する教訓を基礎とする社会保険制度は、現在その歴史的役割をあらためて問い直されなければならない。

A・スミスの「見えざる手」から、国家による「見える手」への経済原則の変更が誤りであったことは、ケインズ主義の失敗とソビエト連邦の崩壊とにより証明されたはずである。国家の役割は公共財の提供と選択肢の確保だけだ。いつまでもぬるま湯のような受益に取りすがってはいけない。「自助の修正」を続ければ、その終着駅に待っているのは福祉国家という全体主義国家なのだ。

by hishikai | 2008-05-01 00:29 | 憲法・政治哲学