2008年 05月 20日 ( 1 )

2008年 05月 20日
『からごころ』
e0130549_0415074.jpgどの民族にも各々にふさわしい自然な心の働かせ方があるはずだ。本居宣長はそう考えた。しかし彼の目に映ったのは何とも不自然な同時代人の姿だったので、彼はその事態を「からごころ」と呼んだ。それは儒教と漢文を正統な学問と考える、当時の漢国かぶれを指すのではない。事態はもう少しややこしい。

「意識的な中国びいきは、まだしも救いがある。その人自身、自分の中国びいきであることを心得ているからである。しかし問題となるのは、直接に四書五経を読むでもなく、漢詩をたしなむでもない多くの人々の、自らはそれと気付かず『中国流』となってしまっていることである。」(からごころ/長谷川三千子)

日本人が日本人であるということは、あたりまえの事のようでもあるが、その意識の根底には外来文化を取り入れて基礎としてきたことへの無視が潜んでいる。他人の文化を自分の文化と思い込む、そういう自らの態度を見ない、文化の国境を見ないことで日本人の意識は成立している。

小林秀雄は言う。「私達は、漢字漢文を訓読という放れわざで受け止め、鋭敏執拗な長い闘いの末、遂にこれを自国語のうちに消化して了った。漢字漢文に対し、このようなことを行なった国民は、何処にもなかった。この全く独特な、異様といっていい言語経験が私達の文化の基底部に存し、文化の性質を根本から規定していたという事を、宣長ほど鋭敏に洞察していた学者は、他に誰もいなかったのである。」

明治の文明開化もまた同じだった。私達は尊王攘夷の舌の根も渇かぬうちに、蒸気機関車も二十八サンチ砲も立憲主義も帝国議会も受け入れた。所詮すべては毛唐の発明品だ。しかしひとたびそう見えてしまったら、もう大真面目に学ぶことはできない。軽蔑しながら学ぶことなど人間にできようはずがない。

文明開化とは便利な言葉で、私達はそれを欧化政策とは言わない。しかし実際はどうであったか。ペンキ塗りの洋館で踊ったのは誰だったか。確かに屈辱感があっておかしくない。原理的なナショナリストから日本人の変わり身の早さを見れば、この国の人々の心には屈辱感を素早くしまい込む特殊な仕掛けがある、そう見えても何ら不思議ではない。

とはいえ明治の人々が欧化政策を文明開化と言い、それを信じ込むことで国難の脱出に成功したこともまた事実だ。外来文化の摂取を屈辱だと受け止めていたら日本は助からなかっただろう。だとすればその隠れた功労者は「からごころ」ということになる。

日本人とは何かということを考えるとき、必然その眼差しは文化の底へと向かう。江戸の爛熟した繁栄でもなければ、戦国乱世の武勇伝でもない。もっとずっと以前の古代へ。儒教でもなければ仏教でもない。もっと原初の信仰へ。そうやって日本文化の深遠を覗き込んだとき、私達はそこに何か核心めいたものを見るだろうか。それともただ真っ暗な「からごころ」の洞穴が広がっているだけだろうか。

ブログランキング・にほんブログ村へ

by hishikai | 2008-05-20 00:49 | 文化