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2008年 06月 16日
十字架
e0130549_1831642.jpg私は戦争を知らない。だから昭和二十年八月十五日を境として、生き残った多くの日本人が戦後体制の建設を是認するに至るその転向の経緯、その内的な葛藤がどのようなものであったかということについては、今に遺された言葉を組み立たててみるより他に手段を知らない。

文芸評論家の古林尚は、自らを意識的に戦前から切断したのだと言う。古林は自身が海軍の生き残りであることから、同輩の死と自分の生を分かつものが偶然だったとすれば、戦後とは偶然に生き残った者の体制ではないか、そういう空白感に襲われながらも、やはり当時の若者は戦前との意識的な切断を考えたはずだと言う。そして三島由紀夫にはそれがない、だから「わからない」と言う。

この言葉を受けて三島由紀夫は「古林さん。わからないと仰っちゃいけないんじゃないでしょうか」と前置きをしてこう言葉を継ぐ。「自分が十代までに考えたことが『いかん』ということは自分に許せない、そういう気持が自分の中のどこかにあった。それが無い人は僕にはわからない。そう言い切れる」と。

古林はこれを口籠った様子で受け止めながら、三島自身の考えは別として、盾の会のような活動は日本の再軍備、徴兵制の復活を目指す人達に利用されるのではないかと言い、これに三島は一応の理解を示しながらも、自分は反政治主義者である、自民党や共産党のような偽善者に利用されることはないと断言し、重ねて周囲の思惑を説く古林の言葉を「まあ、見ていて下さい」の一言で遮っている。

この対談の七日後、三島由紀夫は割腹して果てる。戦後の空白を感じながらも、なお戦後に与した古林尚はこの訃報をどう受け止めたであろう。海軍の籍にあって飛び立つ同輩を見送りながら、いま再び戦中を知る人の死を見送ったのだ。時間は彼一人を残して引き潮のように切断したはずの過去へと流れたのではないか。

矛盾を矛盾として認めた古林尚の態度は、戦後の人として強いものであったのかも知れない。G・Kチェスタトンは十字架を縦棒と横棒の交差する矛盾の象徴だと言ったが、まさにその意味で古林の戦後は切断と空白の交差する十字架であったようだ。あるいは彼が三島由紀夫との対談で受取ったものは、三島由紀夫の最後の言葉ではなく、古林尚自身の十字架だったのかも知れない。

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by hishikai | 2008-06-16 18:45 | 文化