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2008年 06月 30日
愛国心
e0130549_16414461.jpg自分の国を愛するのに、何か勿体ぶった理由を持ち出す連中には、単なる偏狭な国粋的自己満足しかないことが往々にしてある。こういう連中の最悪の手合いは、日本そのものを愛するのではなくて、自分の解釈する日本、自分の日本観を愛しているにすぎぬのである。

もし日本を偉大な帝国であるがゆえに愛すれば、海外統治がいかに大成功であるかに得意の鼻をうごめかしかねない。しかし、もし日本を一つの民族として愛すれば、どんな事件にぶつかろうとも少しも動じることはない。たとえ外国人に征服されたとしたところで、日本が民族であることに変わりはないからだ。

ここまでの文章はG・K・チェスタトンの『正統とは何か』の一部を抜き出して、イギリスを日本に、インド征服を海外統治に、インド人を外国人に置き換えてみたものだ。どうだろうか。ここ十数年、我国で保守的言論に対する世間の理解が得やすくなった一方で、このような愛国心の表明はむしろ少なくなったのではないか。

仮に愛国心を外圧により生ずる外発的愛国心と内観により生ずる内発的愛国心とに分けて考えれば、近年多く聞かれる愛国的言論の圧倒的多数が外発的愛国心によるものであることに気が付く。しかし外発的愛国心が情勢への憤りを動機としているために、威勢のよい割に長続きしないことは頭の隅に入れておいた方がよい。

以前にもポーツマス条約や排日移民法といった外圧のあるたびに世論は沸騰し愛国心を叫ぶ声は大きくなったが、それらは常に反作用を帯同していたのである。その際たるものが戦後平和主義という他力本願の平和論への掌を返したような転落である。現在でも万々が一中国や朝鮮半島の問題が解決した時に、その気紛れな歴史が甦らないということがあろうか。

「日本を一つの民族として愛すれば、どんな事件にぶつかろうとも少しも動じることはない」私達はこの基礎の上に立たねばならない。外圧を動機とするのではなく、また何かを誇るのでもない。唯々自らの原初のこととして、日本が日本であるゆえに日本そのものを愛する心を求めねばならない。明日を思う代わりに永遠を思わねばならない。

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by hishikai | 2008-06-30 17:19 | 日常